宝物…2

 総司は小説家だ。
 けれど著者名を出しても、大半の人が知らないと答えるほどに売れていない。
 他人からすれば甥の贔屓目かも知れないが、翔は総司の描く静かな世界観が好きなのだ。

「新作か…楽しみだなぁ」
 幸せそうに呟き、浮かれた足取りで総司の住むマンションへと向かう。
 暗証番号の入力を終え、エントランスに入ると、鞄の中からカードキーを取り出す。
 それが無ければ、セキュリティが二重になっている為に各部屋の前へ行き着けない。
 エントランスの奥のセキュリティドアは、カードキーを使うか、各部屋のインターホンを通してロックを解除しなければ、開かない仕組みだ。

 幼い頃、総司からもらったカードキーは翔にとって、宝物のようなものだ。
 両親が会社を立ち上げたばかりで忙しかった頃、代わりに面倒を見てくれたのが、総司だった。
 高校生になるまで総司のもとで暮らしていたので、親よりも総司との想い出のほうが多い。
 総司が連れて行ってくれた場所も、掛けてくれた言葉も、ちょっとした仕種でさえも、ぜんぶ翔には宝物だ。

 セキュリティドアの先に続く廊下を通り、部屋の前で止まる。ノックをしようとしたが、思いとどまってドアノブを掴んだ。
「げっ…やっぱり開いてる」
 不用心なのは相変わらずだ。ドアを開閉して入り込む。
 部屋から物音一つせず、翔は首を傾げた。玄関に靴は有ったが、やけに静かだ。
 リビングまで進んで、その理由がようやく分かった。
 総司は、ソファーの上で熟睡していた。
 疲れているのだろうと判断し、制服の上着を脱いでそっと掛けてやる。
 それからざっと室内を見回せば、案の定、デスクを中心に散らかり放題だった。
 飲みかけのコーヒーカップ、煙草の吸殻があふれかえった灰皿、床には新作の資料用であろう本や雑誌などが散乱している。
 翔にしてみれば見慣れた光景だ。よし、と小声で呟き、総司を起こさないように慎重に片づけを始めた。



「……翔?」
 丁度片づけが終わった頃に、総司が目を覚ました。
 すると翔は素早くキッチンへ向かい、コーヒーを注いだカップを二つ持って戻って来る。
 片方を総司に手渡し、向かい側のソファーへ腰掛けた。

「執筆お疲れさま。片付けはしておいたから、ゆっくり休んで大丈夫だよ」
「いつも悪いな」
「おれが好きでやってることだから、いいんだよ。それより、新作の出来は?」
「名作……って、自分で言ってもな」
 コーヒーを啜り、総司は苦笑いする。
 軽く掻いた髪がほんの少し濡れているのに気付いて、翔は手を伸ばした。

「髪、乾いてないよ」
「ああ…風呂からあがって直ぐ倒れたからな」
「よっぽど疲れてたんだね。隣、いい?」
 ローテーブルの上にカップを置いて尋ねると、総司は頷いてみせる。
 嬉しそうに横へ座り直した翔が、総司の髪へ鼻先をくっつけた。

「シャンプーのいい香りがする」
「風呂に入る前じゃなくて良かったな。相当、煙草くさかったぞ」
「ふふ、おれね、総司さんの煙草のにおいも好きだよ」
 総司の首へしがみついて、身体を寄せる。総司には嫌悪の色も無い。それどころか優しく髪を撫でてくれる。

 翔はふと、告白してきた後輩のことを思い出した。
 そして何の気なしに、総司に話してしまう。

「今日学校でさ、後輩に告白されたんだよね。キスして舐めて入れたいぐらい意識してるって、ストレートに言われてびっくりした」
「……男同士なんて、冗談じゃない」
 黙って聞いていた総司が、急に眉根を寄せた。
 冷たく言い放され、翔は我が耳を疑う。
 総司の表情を確認すると、強い嫌悪をはっきりとおもてに出していた。

 胸が、ずきりと重く痛む。

 自分を否定された気持ちになり、翔はその瞬間初めて、自覚した。
 堪えきれず、涙が溢れる。

「翔? おい、どうしたんだ」
 急に泣き出した翔に、総司は驚きを隠せない。頬へ手を添えると、珍しく翔は身を引いてしまう。
 泣きながらかぶりを振る姿に、困惑する。
「どうして泣いているのか、言わないと分からないだろう」
「言ったら、もう…ここに来れないし、総司さんとも会えない」
「なおのことだ。言いなさい」
 柔らかい声音で優しく、なだめるように促され、翔はうつむいた。



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