陶酔…2


(道具なんて絶対に嫌だ)
 十数分以上は走っただろうか、アパートから大分離れた駐車場で、息を切らして膝をつく。
 呼吸を整えたいが、息を切らし過ぎて、咳が止まらない。
「おい。どうした、坊主?」
 駐車中だった黒い車の、運転席側の扉が開いた。
 スーツ姿の男が心配そうに、歩み寄って来る。
 後部座席からも、若い男の声が聞こえたが、後ろはスモークガラスで全く見えない。
「た、助け、助けて、くださ……、」
 優希は思わず、男の足にすがりつく。
「おい、ちょっと落ち着け、坊主」
 焦る男の声に反し、後部座席から楽しそうな笑い声が響く。
 後部の扉が開き、出て来たのは柔らかな雰囲気をまとった、長身の男。
「オヤジ、笑わんでくださいよ」
「だってねぇ、おまえ……必死に猫に縋りつかれているみたいなんだもん」
 オヤジと呼ばれる割に、男は歳をとってはいなかった。
 精悍な顔つきだがまだ若く、ほんの少し柔和な表情が印象的で、優希は一瞬見惚れた。
「それで? 猫チャン、キミはどうして助けを求めてるのかな?」
 男が身を屈め、ぐっと距離が縮む。
 温和な雰囲気をまとってはいるが、瞳の奥には、なにかギラつくものが有る。
 彼が一般人では無い事を、優希は直ぐに察した。
「父親が借金踏み倒して逃げた。俺は、道具、とかにされそうになったから、逃げた」
 呼吸を整えながら、親子揃って逃げている事に、優希は情けなさを感じて苦笑する。
「道具? んー……もしかしてあれかなぁ、大友(おおとも)んとこの?」
「でしょうね。借金の(かた)に美少年を集めている、変態野郎ですし」
「そっかそっかぁ、変態に追われていたんだねぇ、可哀想に。立てる?」
 差し伸べて来た手を、優希は期待しながら掴んだ。
 もしかしたら、大友の手が届かないところまで、逃がしてくれるかもしれない、と。
 だが優希を立たせた男は、にっこりと笑って励ますように優希の背中をぽんっと軽く叩いて――、
「じゃあ必死になって逃げないとね、頑張ってね」
 手を離したものだから、優希は崖っぷちに立たされた気になる。
「た、助けて、くれないん……ですか、」
 震えた声を零すと男は心底不思議そうに、首を傾げてから、にこやかに微笑む。
「だって僕、キミとは初対面だし。知らないガキ助けて、僕が得するわけでも無いからね」
 優しい微笑みを見せながら、ずばずばと切り裂いて来る。
「笹川のガキ! 何処行きやがった!?」
 くらりと目まいを覚えたが、遠くのほうから怒号が聞こえた為、優希はゴクリと唾を飲んだ。
 車で追い駆けて来ているのだと分かった途端、優希は恨めし気に、男の足を踏んづけた。
「痛ぁい、ちょっとキミねぇ……」
「……あんたたちに助けはもう求めない。たまたま隠れられそうな場所が有って、たまたまドアが開いてたから隠れる」
 厚かましくも後部座席に逃げ込んだ。
 無茶苦茶を言っている事も、車から引きずり出されるであろう事も、自分が底辺の行動をしている事も、分かっている。
 後部のドアを閉めて倒れ込み、学生鞄で頭をおさえこんで、全身を震わせる。
 いつ引きずり出されて連中に差し出されるか、分からないのだ。
 勢いで強気に振る舞ったが、あとから後悔の念と共に恐怖が湧いて来る。
 緊張感から胃がせりあがって、吐き気を催した。

「ふ、ふはっ、ははは、……いやー、いいね。面白いねぇ。清々しいぐらい、自分勝手だねぇ」
 外から男の笑い声が聞こえたが、なんとなくそれは嘲笑とは感じられず、優希にとっては微かな救いとなった。
「オヤジ、駄目っすよ。犬猫じゃあるまいし、多感な中学生ですよ」
「犯罪者すれすれって、スリル有るよねぇ。金城(かねしろ)、車出して」
「オヤジっ!」
「大友は、僕らなんかを相手にしないでしょ。少し匿ってあげるだけだよ」
 男はのらりくらりとした調子で、助手席の扉を開けてシートに座る。
 温厚さと交友の広さで幅広く知られている、穏健派の三科(みしな)組。
 いくつかの武闘派の組とも、友好関係を築いている為、三科組に手を出す相手はほぼいない。
 三科が振り向くと、緊張の糸が切れたのか優希の寝顔が目に映った。
「本当はすごく怖かったんだろうねぇ。寝ちゃったよ、ふふ、かわいいねぇ」
 今後の生活が愉しみだと云うように、三科は不敵に笑った。



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