陶酔…6
「親父? 居るのか?」
なるべくトーンを落として声を掛けてみたが、返って来るのは静寂のみ。
物音を出来るだけ立てないよう、慎重に靴を脱いで部屋にあがる。
隠れてはいないかと、押し入れやトイレ、浴室を覗いてみるが人の気配は無い。
「親父はきっと、俺を迎えに来た筈なんだ」
自分自身に言い聞かせるように呟き、探し回っていた優希は、テーブルの上に見慣れない封筒があることに気付く。
宛名を見れば、優希へ、と雑な字で書かれてある。父親の字だ。
急いで開けると、中には紙が一枚入っていた。
『すまない、一人で生きてくれ。』
それだけ書かれた紙を見て、優希は愕然とする。
親から捨てられたと突きつけられる、現実。
紙を封筒ごと、ぐしゃりと握りつぶして、気づけば優希は泣いていた。
「……ちくしょ……なんで……」
乱暴に涙を拭い、手紙を持ったままアパートを出る。
――俺は厄介者だった?
――あっさり捨てるほど、愛着も無かった?
考えれば考えるほど、自分が無様に思えて、歯を食いしばる。
手紙を握りしめていた逆の手が、不意に柔らかく包まれ、引っ張られた。
「こーら、こんな所まで来て……大友に捕まりたいの?」
「え、……み、三科さ……?」
「ほら、歩いて」
手を引くと、優希の足が重そうに動く。
「あんまりねぇ、溜め込まないほうがいいよ。出せるものは口に出せば、ちょっとはスッキリするから」
傷ついた心にじんわりと染み入る、優しい三科の声。
「……親父は俺を愛してくれてるって、信じたかった、信じて、いたかった……でも、もう駄目なんだ、本当に捨てられたんだ」
大好きな父親から捨てられた事実が、悲しくて、腹立たしくて、寂しい。
「なんでっ、俺が追われなきゃいけないんだっ、悪いのは親父だ、悪いのは……っ、」
「そうやって涙が出るのは、お父さんを心から悪く思えないからでしょ」
その通りだと、優希は思う。
涙が溢れて、止まらない。
「捨てられたんじゃなく、自分がお父さんを捨てたんだと思えばいいよ」
「俺が……捨てた?」
「うん。そうすれば、キミは惨めで無様な気持ちから解放される」
思いつきもしなかった考え方に、優希は三科を見上げ、瞬きを数回繰り返す。
三科は微笑み、逆の手で優希の頭を撫でた。
彼がくれる温もりが、優しさが、心地いい。
心をすべて、三科に委ねてしまいたい衝動を、優希はなんとか抑え込んだ。
父親からの手紙を捨てられないまま、数週間が過ぎても、優希の表情は中々晴れない。
「坊っちゃん、差し入れだ。ウマいもん食うと元気出るだろうと思ってなぁ」
「ありがとうございます。わあ、若鮎だ。これすごく好きです、俺」
洗濯物を干していると声が掛かり、振り向く。
川魚の鮎をかたどった焼き菓子が二つ、透明な皿に乗っていた。
顔をほころばせる優希だったが、怪訝そうに首を傾げる。季節が、早すぎる気がした。
「店に並ぶのって、5月ぐらいじゃないですか? 良く見つかりましたね」
「買ったんじゃなく、俺が作ったんだよなぁ。口に合うか分からんが、まぁ食ってくれや」
干すのを代わると言ってきかない岩本に礼を言い、優希は縁側に腰掛けた。
直ぐに家政婦がやって来て、岩本に洗濯物を干させるものではないと急いで干し終えて戻って行く。
「……言い返したり、叱ったりしないんですか?」
家政婦よりも岩本のほうが立場は上であろうにも関わらず、岩本は参った、と苦笑いして縁側に寄って来る。
意外そうに目を丸くして優希が問うと、いつから見ていたのか、内山が笑いながら廊下を進んでやってきて、
「岩本の兄貴は、さっきの女とデキてるから頭上がらねーの」
「内山、おまえなぁ……そういうことは言わなくても良いだろ」
言い立て、岩本は加減して内山の肩に拳をあてる。
剣呑さは無く、和やかな二人のやり取りに少し癒されながら、優希は「いただきます」と両手を合わせて挨拶してから若鮎に手をつけた。
「美味いです。白餡の味がくどくなくて、食べやすい」
一口食べて単純にも表情がぱっと明るくなった優希の頭を、岩本がくしゃりと撫でる。
「オヤジだけじゃなく、俺らにも甘えていいからな、坊っちゃん」
「ちょ、ちょっと誤解が有ります。俺は三科さんに甘えてなんか……」
「ゆーきくん、呼んだー?」
丁度、車から降りた三科が中庭を通って地獄耳の対応をするものだから、優希は更に焦った。
組員達が皆一様に頭を下げ、三科に挨拶する中で、優希は居心地悪そうにしている。
「甘えてもいないし、呼んでもいませんっ」
主張する優希の抵抗も虚しく、普段通り三科の膝の上へと座らせられた。
会社から戻った三科は、スーツを着ていて、着流しもいいがスーツも似合うな、と思わず少し見惚れてしまい、優希は悟られないように目を逸らす。
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