I miss you…07

 坂井はやけに真剣な表情で話を続けているし、声を潜めているから良く聞こえないし。
 僕の前で彰人と内緒話しないでよ…なんて、勝手に拗ねたりもしちゃう自分が嫌だ。
 通話を終わらせると坂井はすぐに僕を連れ、車の助手席へと促した。
 もう逃げ道は、無い。いつも優しい筈の坂井も、見逃してはくれないみたいだ。
 どうしようと考えて、泣きだしたい気持ちでいっぱいの僕なんてまるでどうでも良いみたいに、車は滑らかに走り出す。

「葵君…そんなに怯えなくて大丈夫ですよ。社長は、厳しく叱ったりはしません」
 いつまでも沈んだ面持ちの僕を、怒られるのを恐れているんだと思ったのか、坂井は笑いながら声を掛けて来た。
 彰人のことを理解しているように言われて、胸の奥で嫌な気持ちが膨らむ。
 この二週間、坂井はずっと彰人と一緒に居た訳で……しかも、坂井は彰人のお気に入りだ。
 そう考えると、胸の奥がきりきりと痛んで、涙が出そうになった。

 ヤバイ。本当に僕、どうかしてる。
 こんな事で泣くなんて、弱い証拠だ。もっともっと、しっかりしないと。

 下唇を強く噛んで苦痛を誤魔化すように、窓の外の景色を眺める。
 眼にした空は広く、まるで心が病みそうなぐらいに、晴れ渡っていた。


 有名大企業、藤堂グループの本社は学園から車を走らせて大体一時間半で辿り着く距離だ。
 建物の外観は全面硝子。そして、社内は驚くぐらい広い。
 幼い頃何度も来ては驚いていた僕だったけれど、流石に今となっては慣れっこなので平静は保てる。
 だけど気を抜くことだけはせず、演技には余計に力が入った。
 制服を着ている上、社長専属秘書の坂井が傍に居る所為で社員からの珍しそうな視線が集中するものだから
 僕は軽く緊張しながらも、騒がず、大人しく、出来るだけ物分りが良さそうな人を演じる。

「葵君、こちらへ」
 一般社員は使う事を許されていない、専用のエレベータ前へ進んだ坂井が振り向いて僕を呼んだ。
 作り笑いを浮かべて素直な返事を零し、彼の方へと少し足早に進む。
 エレベーターのパネル部分にキーを近付けた坂井は、柔らかく微笑みながら待ってくれている。
 やがて扉が開いたエレベータ内へ僕を促すと、中に有る指紋照合装置に触れてから、坂井は小さなタッチモニタを操作し始めた。
 僕には操作方法なんて全く理解出来ないから、出来る坂井は凄いなと、毎回感心してしまう。
 音も立てずに扉が閉まり、エレベータが静かに動き出すと、無意識に小さな溜め息が零れた。
 やっと演技をしなくて済むのだと考えて、少しだけ力が抜けたのだ。

「藤堂彰人社長の息子だとは公表されていないのですから、もう少し自然体で良いんですよ?」
 にこやかに笑いながら言葉を掛けられ、僕は軽く頷く。
 自然体で良いなんて彰人にも言われるけれど、これは僕の癖みたいなものだ。
 幼い頃から僕は他人の眼を気にしていたし、それは今も変わらない。
 僕の態度が原因で彰人に嫌な想いをさせたくないから、迷惑を絶対に掛けたくないから、僕自身が頑張らないといけないんだ。

「…ッ」
 ずきり、と急に頭が痛んで、咄嗟に眉を顰めた。
 身体が怠い上、頭痛までして来るなんて……完璧に風邪、かも知れない。
 悟られまいと僕はすぐさま、いつも通りの表情に戻り、平静を装う。
 その瞬間、階への到着を告げる音がエレベータ内に静かに響き渡った。


 坂井に丁寧にエスコートされ、社長室の前まで辿り着いたものの、逃げ出したい気持ちは余計に強まっていた。
 大きな扉の向こう側に彰人が居るのだと思うと、足まで震えてしまって、どうしようも無い。
 自分の大好きな人なのに、一番会いたかった人なのに……こう云う形では、会いたくなかった。
 何を云われても傷付かないようにしようと、気を強く持とうとするけれど、彰人の事を考えれば考えるほど気分は沈んでゆく。

「社長、坂井です。葵君を連れて参りました」
「…入れ、」
 静かにノックした扉の向こうから、低く魅力的な声音が響く。
 彰人の声だ、と思うと、胸の奥底から熱い何かが込み上げて来て、何年も声を聴いていなかったかのような錯覚に陥った。
 あまりにも懐かしすぎる声に、危うく、涙まで出そうになる。
「失礼します」
 静かな口調で言葉を放って扉を丁寧に開けた後、坂井はすぐに僕を手招いた。
 頷き、震える足取りで室内へ入り込むと、僕の目は真っ先に正面へ向く。
 此方に背を向けた形で椅子に座っている相手の姿からは、どうしてか、近寄り難い雰囲気が漂っていた。


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