I miss you…08

「坂井、手間を掛けさせたな。」
 椅子を軽やかに回転させて此方へ向き直り、彰人はゆったりと足を組み直す。
 そんな仕種がひどく魅力的で、眼が釘付けになってしまうけれど、彰人は僕の方をちらりと見る事すらしてくれなかった。
 それに気付いてしまった僕は、彼の元へ向かう為に動かし掛けていた足を、ぴたりと止める。
「父さん…」

 ――――彰人は、僕のことをまだ一度も、見てくれていない。
 そう意識しだすと息苦しささえ感じて、僕は咄嗟に彼を呼ぶ。

 この人の性格からして、僕に駆け寄って抱き締めてくれることなんて、絶対にしない。
 だけどどうしても、何か言葉を掛けて貰いたくて……淋しかっただろう?とか、一人にさせてすまなかったな…とか
 ぶっきらぼうな謝り方だって良いから何か優しい言葉が欲しくて、再度彼を呼ぶ。

 その瞳に、僕を映して欲しい。こっちを、見て欲しい。
 切ない気持ちを抱いた瞬間、彰人は眉根を寄せ、迷惑そうな表情を見せた。

「葵、私を困らせて愉しいか?」
「……え、」
 耳に聞こえたのは、あまりにも冷たい声音。
 一瞬、我が耳を疑ったりもして、僕は間抜けにも聞き返してしまった。
「私を困らせて愉しいのかと、訊いているんだ。……体調が悪いのなら、何故家で大人しくしていない?」
 冷たい科白が胸に突き刺さって、心が痛んだ。
 会いたくて会いたくて、二週間ぶりに漸く会えたと云うのに、彰人は僕に冷たい言葉をくれた。
 そんなの、予想は出来た筈だ。予想して、あまり傷付かないようにと心の準備だって出来たのに……僕は一体、何を期待していたんだろう。
 期待していた自分がひどく惨めで、そして愚かしくも思える。

「家は…だって一人は、嫌だから…」
「何を子供みたいな事を言っているんだ、おまえは。」
 まるで馬鹿にするみたいに鼻で軽く笑われて、僕の目は自然と下へ向いてしまう。

 ………居心地が、悪い。それに、吐き気もする。
 彰人が冷たい態度を取るのは今に始まった事でもないけれど、二週間も会えなかった僕からすれば、彼の言葉が普段の百倍は痛くて。
 僕はもう彰人に嫌われてしまったのかな、などと考えてしまう。
 気が深く沈んで、この場で今直ぐ、子供みたいに泣き喚いてしまいたい衝動に駆られる。

「社長…葵君も、淋しかったんだと思いますし…」
「坂井、お前は黙っていろ。口を挟むな」
 まるで僕を助けるように坂井が何かを言い掛けたけれど、すぐに押し黙ってしまう。
 彰人は逆らえない雰囲気を纏っているし、普通の人より迫力も有るのだから無理も無い。
「帰る、から。ちゃんと家に…帰るよ」
 自分でも驚くぐらい弱々しい声が喉の奥から出て、僕は自分の足元を睨むように見つめた。

 ―――何だ。会いたかったのは、さびしかったのは僕だけだったのか。
 恋人だから、彰人も僕と同じ想いをしているんだと、勝手に勘違いしていた。僕の、ただの空回りだった訳だ。
 ………頭が、痛い。気持ちが、悪い。

「葵、」
「葵君…」
 何処と無く心配そうな声で、彰人と坂井が同時に名を呼んだものだから、僕はのろのろと顔を上げた。
 だけど、椅子から立ち上がった彰人が近付いて来るのを目にした途端、慌てて後退ってしまう。
「…め…なさ、ごめんなさい。迷惑掛けて…だから……」
 ――――だからどうか、嫌わないで。いい子になるから、嫌わないで。
 憮然とした表情を崩す事無く、真っ直ぐに近付いて来る彰人を見ていると涙が溢れて来そうで、それを必死で堪えながら
 僕はまるで馬鹿みたいに取り乱して、何度も謝罪を繰り返した。

「迷惑、だと?……そうだな。体調を崩している癖に、家で大人しくして居られない子供は、迷惑だ…」
 突き放すような口調で言い放たれて、涙が自然と零れた。
 みっとも無いから、弱い自分を認識したくないから、泣きたくなんて無いのに………止まらない。

 僕は本当に、救いようの無い、馬鹿だ。
 彰人に迷惑なんて、掛けたくなかったのに。迷惑だと、思われたくなかったのに。
 大好きなひとに、不快になんて、思われたくなかった―――――。

 泣いたことを隠すように、弱い自分を掻き消すように、両手で顔を覆う。
 頭が痛くて、気持ちが悪くて……息が、苦しい。
 胸の奥が、痛い。呼吸が出来無い。
 意識が朦朧として身体がぐらりと傾き………僕の意識はまるで、糸が切れたように急に途切れた。


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