昔歳…4
……………凪の世界には、俺だけが居ればいい。
常日頃から考えている願望を心中に抱きつつ、凪の白く柔らかな頬を一度指で撫でてやる。
感触を堪能するように撫でた後、そこに口付けるが、凪は全く抵抗しない。
「いつも云っているだろう?俺は凪が居ないと、生きていけないんだって…」
―――――――お前も、そうだろう?俺が居ないと、生きていけない筈だろう?
凪はいい子だから、もうちゃんと、分かってるよな。お前が心から頼りにし、愛する相手は俺だって事。
「だから凪、俺から離れて…遠くに行かないでくれよ?」
まるで洗脳するかのように、猛は不安げな声色を作る。
弟の優しい心に付け入って、その純粋な心に自分の存在を今まで何度も刻み付けた。
この愛しい存在が離れて行ったら、自分は何をしでかすか。
自分自身ですら分からないと頭の隅で考える猛を、あの鳶色の瞳はじっと見上げている。
やがて何度か頷いた凪は少し躊躇った後、小さな腕を伸ばし、猛にきつく抱き付いた。
「ぼく、お兄ちゃんが大好きだから、離れないよ…それに遠くになんか、行きたくないもん」
何処にも行かないと伝えるように、きつくしがみついて来る小さな存在が、あまりにも愛しく思える。
その華奢な身体を組み敷いて、壊れるぐらいに犯してやりたいと云う衝動を抑えながら、猛は口を開いた。
「良かった、なら安心だ。俺も凪が大好きだよ、」
抱き返して小さな背を撫でてやりながら耳元で囁くと、凪は一度、くすぐったそうに身を捩った。
猛に好きだと云って貰えるのが心底嬉しく、凪は目を細めて笑うが
濡れた下着の不快感からか笑みは直ぐに消え、困惑の表情に変わる。
凪の表情の変化を見逃す事も無く、猛は含み笑いを漏らしながらサイドテーブルの上へ手を伸ばし
給湯機器のリモコンを手にすると湯温と湯量を設定してスイッチを押し、浴槽に湯を張ってやる。
狂犬と云う呼び名の通り暴れ回って、対抗組織を潰して来た自分が
たった一人の弟の為だけに此処まで気を回すなど、誰も考えられないだろうと、猛は不意に思う。
こんな姿を見たら、まだ数少ない舎弟達は驚きで腰を抜かすかも知れない。
吾妻は普段のように呆れた顔をして、極道らしくないと舌打ちを零すだろう。
「お兄ちゃん、」
吾妻の呆れ顔を思い浮かべ、思わず笑みを零した瞬間、凪の高い声が耳に入った。
手にしていたリモコンから顔を上げると、凪の幼い表情には戸惑いの色が浮かんでいる。
恐らく、少し待てばその口からは、トイレに行きたいと言葉が出るだろう。
「…トイレじゃなくて、風呂の方が良いんじゃないかと思ってね。着替えは後で持って行ってあげるし、凪は何も心配しなくて良いんだよ」
優しい声色で言葉を掛けると凪は申し訳無さそうな表情を浮かべ、小さな声で謝罪を口にした。
だが猛は微笑んで手を伸ばし、気にしなくて良いと伝える為、凪の頭を撫でてやる。
安堵の表情を浮かべて、ほっと息を吐くような、そんなありきたりな仕種ですら、凪がすると云うだけで猛の胸は熱くなった。
…………本当に、参るな。
半ば困り果てたように考え、猛は心中で溜め息を吐く。
まるで飢えた獣が、年中盛っているようだ…と、凪の仕種に簡単に欲情してしまう自分が
堪らなく滑稽に思えた猛は、時折そんな風に自分を卑下する事も有った。
凪の何処となく惹き付けられる雰囲気や、外面だけでは無い、健気で優しい内面を猛はひどく気に入っている。
何よりも愛しい、世界でたった一人の、弟。
凪だけが心から自分を心配してくれ、想い、愛してくれる。
その事実は、自分が幼い弟に異常な程に執着するには、十分な理由だ。
自分に恋心を抱くまでじっくりと待ち、それまでは己の黒い欲望を抑えるつもりだが……いつ理性の糸が切れるか、猛は自分でも分からない。
余裕を削がれる程に、もう止められない程に………
――――――――お前を、愛しているよ。
口に出してしまいそうな言葉を呑み込んで一度息を軽く吐いてから、凪の肩に手を掛けた。
「ほら、凪…そのままだと気持ち悪いだろ?そろそろ湯も張り終わるみたいだから、早く入っておいで。俺はシーツを替えて置くからさ」
「う…うん、ごめんなさい」
謝罪の言葉を口にすると、凪はいそいそとベッド上から降りる。
小さな足ではサイズが違い過ぎるスリッパを履き、歩き難そうに進もうとするその姿を見ながら、猛は敷布を替えようと動く。
だが毛布を捲ったものの、敷布は少しも濡れていない。
髪をゆっくりと掻き上げながら疑問に思う猛の脳裏に、窓紗を閉める際に耳にした、凪の甘い声色が浮かんだ。
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