昔歳…7

 初めて心の底から欲しいと願った相手との、決して崩れる事の無い
 誰にも邪魔される事の無い世界と完璧な愛を、猛は欲している。
 絶対に自分から離れる事の無い、自分を決して拒まないほどの、完璧な愛。
 もう凪以外愛せそうに無いのだから、凪が自分を愛せばいいのだ。そうすれば自分の望み通りの愛が、手に入る。
 そしてそれと同時に、純粋で何よりも綺麗な、あの硝子球のような凪の心も自分のものになる。
 凪の全てを自分の物にしたがっている猛にとって、一番欲しいものは凪の心だ。
 それを手に入れなければ、全てが無意味なものとなる。だから今はまだ、感情を抑えなければならない。
 猛は欲望を掻き消すように軽く息を吐き、口元を緩ませて凪に優しく微笑み掛ける。

「……そんなに擦ったら、目が痛むだろう?」
 気遣いの科白を優しい声色で吐くと、凪は少し間を置いた後で、小さく頷いた。
 猛は惜しみながら手を離し、指でゆっくりと優しく凪の目元をなぞり、涙を拭いてやる。
「一杯泣いて疲れたんじゃないか?風呂入ったら、少し寝ようか」
 壁に掛かった時計へ視線を向けて言葉を掛けるが、肝心の凪の返答が聞こえない。
 視線を向け直した先には、躊躇いがちに眼を伏せている凪の姿があった。
 どうかしたのかと問うより早く、凪は猛の服を軽く引いて来た。
 凪は何か伝えたい事が有る時、服を軽く引っ張る癖を持っている事を知っている猛は直ぐに、凪が何を云いたいのか理解する。
「…どうした?」
 理解していながらも穏やかな口調で問うと、凪は口を開き掛けては閉じ、徐々に頬を赤らめた。
 その姿を堪能するように猛は黙ったまま、相手を眺め続ける。
「あ、あのね……い、一緒に…」
「一緒に、何だい?」
 この内気で甘え下手な弟に取って、最後までその言葉を発するのは、かなりの勇気が要るのだろう。
 それでも口にしようと試みる、精一杯の姿を目にしたいが為に、猛はわざと分からないフリをする。
 口に出来そうで出来無い凪の姿は、猛からして見れば、あまりにも愛おしい。
 凪は内気な所為で甘え下手だが、甘える事自体は好きなのだ。
 その上、甘える対象は母親でも無く常に自分だと云う事実が、余計に心を躍らせる。
「い、一緒に…一緒に、ね……お、お風呂…入り、たいの…」
 集中しなければ聞こえる事は無かっただろうと思う程に、最後の方は弱々しく、聞き取り難い。
 けれど猛は聞き逃す事も無く、凪の甘える言葉に胸を熱くさせながら手を動かし、彼の頭を撫でてやった。
「丁度良かった。俺もさっき戻ったばかりで、まだ風呂入ってないからさ…誘ってくれて、有り難うな」
 羞恥で俯き気味だった凪は顔を上げ、嬉しそうに表情を輝かせた。
 先程まで泣いていたのが嘘のように喜んでいる凪を見て、猛は柔らかな笑みを自然と浮かべる。
 自分が心から安らげるのは、やはり凪の傍だと考えながら、薄く口を開いた。
「凪、もっとお兄ちゃんに甘えて良いんだからな」
 手触りの良い髪を指で梳いてやると、凪は小さく頷く。

 もっと甘えて、甘える喜びを知って、俺だけに心を許して沢山甘えればいい。
 俺だけが、凪の願いを叶えてやれるんだって事を刻み付けて
 俺から一生……離れられないようにしてやる。
 凪の髪から手を離すと、自分の考えに酔い痴れるように、猛は目を細く眇めた。
 細められた暗い双眸が今何を考えているかなど、幼い凪は知る由も無く
 幼い瞳から見る兄の姿は何時だって、優しく、頼りになる存在にしか映らない。

「さ、行こうか。…凪、風呂場まで抱っこして連れて行ってやろうか?」
 揶揄を含めて笑いながら甘い声色で囁くと、凪は赤面して少しだけ俯いた。
 恥らうように視線を逸らしてかぶりを振る姿を見る限り、本気で嫌がっているのでは無く、ただ恥ずかしいだけだと理解出来る。
 恥らう姿を見たいが為に、時折凪を揶揄する自分の子供じみた行動が、少しだけ滑稽に思え
 半ば自嘲的な笑みを浮かべながら、猛は敷布上に置かれた下着へ手を伸ばした。
 猛の行動を目で追ったものの、凪は自分の下着を見ると嫌がるように眉を寄せ、顔を反らす。
「これ、洗わないとな」
「えっ?そ、それ…捨てないの?」
「此れは水洗いでも、十分取れるモノだから」
 猛の答えを聞くと凪は更に悩み、眉根を寄せて不可解そうに自分の下着を見つめた。
「ああ、そうだ。母さんと父さんが戻って来ない内に一度家に戻って、隠してた下着も洗っちゃおうか。そうすれば凪も安心だろ?」
 不安を全て取り除いてやる為に優しい言葉を掛けると、凪は咄嗟に顔を上げた。
 鳶色の瞳は安堵の色を浮かべ、心底ホッとしたような息が、小さな唇から漏れる。


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