恋咲き…02
「……ああ云う度胸の無い奴を見ると、苛付いてしょうがねぇな」
去って行く青年の背を見送りながら、大きく舌打ちを零して呟く。
あの細い手足など自分が力を込めれば簡単に折れてしまいそうだと考え、苛立ちも有る所為で、そうしたい衝動に駆られた。
「あれ、猛の弟さんっすよ。バイトから帰って来たみたいっすね」
「…何だと?」
だが、耳に入って来た遠慮がちな言葉に衝動は掻き消され、樋口は眉を顰めて苛立たしげに組員達をねめつける。
「親父が駄目なら、あのガキに猛の居所を吐かせれば良いだろう。てめぇら、本当に何やってやがる。この二ヶ月、ただ見張っていただけか」
鋭利な視線を向けて咎めると、阿久津は気まずそうに俯く。
樋口の云う通り、ただ見張っていただけの者達も大きく頭を下げ、謝罪を口にし始めた。
「大体あんなガキ、少し脅せば泣いて吐くだろう」
目も合わせようとしなかった青年を思い出し、舌打ち混じりに呟く。
すると樋口の斜め後方に居た男が、遠慮がちに口を開いた。
「組長、それがあのガキ、かなり厄介なんですよ」
額に刀傷の有る屈強そうな男は、顔の割りには物静かな口調で言葉を紡ぐ。
「他の奴らも脅したりしてましたが、俺もあのガキを何回か脅してやったんです。でもあのガキ、こっちが可哀想だと思うぐらいビクビクして震えてる癖に、泣かないんですよ」
背筋を伸ばしながら、参ったように男が浅く溜め息を零すと、樋口は更に眉を顰めた。
樋口組員は大半が、脅しも迫力も他組織の人間より一枚上手だが、この男の凄みや迫力は他の組員を凌駕し、脅迫や交渉も上手い為に樋口や若頭の海藤にも気に入られている。
自分が目を掛けているこの男に脅されても猛の居所を吐かず、ましてや泣かない人間が居るなど、俄かには信じ難い。
「瀬尾、脅しが甘いんじゃねぇのか?骨の一本か二本へし折れば、大人でも泣き喚くぞ」
無表情で残酷な言葉を零すと、瀬尾は少し複雑な色を浮かべて一度阿久津を視、直ぐに目を伏せた。
瀬尾の色を見逃さず、やはり脅しが甘かったのだろうと樋口は納得する。
瀬尾はあの青年に手を上げようとしたのだろうが、子供に対しては今一つ非情になれない阿久津が、止めに入ったのだろう。
子供には、つくづく甘い奴だと考えた樋口は一度舌打ちし、青年の方へ顔を向ける。
まだ部屋に入っていない青年は、アパートの階段近くに有る郵便受の中を確認していた。
顔は見て居ないが、恐らく、猛にそっくりだろうと樋口は推察する。
「お、親分…カタギに手を出したら、やばいんじゃないですか?それに弟さん、まだ子供っすよ」
サングラスの奥の双眸が、まるで獲物を狙う獣のように獰猛な光を帯び始めた事に気付き、阿久津は慌てて言葉を掛ける。
だが樋口は青年から目を離さず、うっすらと口を開いた。
「悠長な事、言ってる場合じゃねぇだろう。早く猛を捕まえねぇと、オヤジの顔に泥を塗っちまう事になる……あのガキもヤクザの弟なら、それなりに覚悟はしている筈だろう」
低い声音で冷淡な言葉を紡いだ樋口を、止められる人間はこの場に居ない。
樋口組若頭の海藤ですら、この場に居ても口を挟む事など出来無いだろうと、阿久津は思う。
声を荒げる事もせず、低い声色で静かに喋る今の樋口は、あまりにも危険過ぎる。
言葉を挟んで止めに入ろうものなら樋口に痛め付けられ、運が悪ければ殺されてもおかしくは無い。
弟分の瀬尾は止められるが、親の樋口を止める事など決して出来る筈が無いのだと、阿久津は諦めたように目を伏せた。
「お前ら、此処で待っていろ」
視線はただ一点を見据え、静かな口調で短い言葉を放つと、樋口は直ぐに足を進める。
組員達の返事を背に受けながら、少し足早に青年の元へ向かって行った。
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