告白…5
………そうだ。たった一人、なんだ。
大切にしなければいけない存在なのに、僕は………何を、しているんだろう。
早くこの男のもとを離れようと、自分の事ばかり考えて、大切な存在を蔑ろにしていた。
そんな当たり前の事に気付けなかった自分が、無性に、恥ずかしい存在に思えて来る。
しかもそれに気付かせてくれたのは、憎むべき相手だと云う事実が、余計に僕を居た堪れなくさせた。
「浩樹は、お前に会いたがっているぞ」
「……うん、」
素直な返事を零すと相手は一瞬、眉を僅かに上げて意外そうな表情を見せた。
直ぐに普段の表情に戻った彼は、不意に、僕の肩を優しい手付きで軽く叩く。
「バイトが休みの日にでも会いに行ってやると良い。」
そう声を掛けた後、彼はほんの少しだけ口元を緩めて………確かに、僕に向けて微笑んでくれた。
休日に入れていたバイトを休んで、僕は刑務所へ一人で向かった。
出掛ける前、海藤凌が無言で渡して来た、兄の好きそうな本を片手に持ちながら面会申込書を待合室で記入する。
それを終えて自分の番号が呼ばれるまで待っている間、僕は海藤凌の事を考えていた。
彼の微笑った顔を見たのは、初めてだ。
海藤凌はあんな風に微笑うのかと考え、渡された本に目を通していると
一時間ほどでようやく呼ばれ、看守の案内のもとに通路を通り、面会所へ向かう。
いくつか有る面会室の一番奥の部屋に通され、また暫く待っていると、やがて硝子を挟んだ向こう側から兄が現れた。
面会室で兄の顔を見ると、自然と涙が零れてしまう所為で、視界は徐々にぼやけだす。
慌てて目元を拭えば、此方に向けて嬉しそうに笑っている兄の顔が目に映る。
「悠樹、久し振りだな。全然顔を見せてくれないから、嫌われたのかと思ったよ。しかし…泣き虫なのは相変わらず、か。」
大袈裟とも呼べるほど深々と溜め息を吐いた彼は、最後の方の言葉を揶揄混じりのものに変えた。
それが何だか擽ったくて僕は一度瞼を閉じ、深呼吸した後、口元を緩める。
「ヒロ兄ちゃんを嫌う訳、無いだろ。バイトが忙しくて来れなかったんだ、」
ごめん、と謝罪の言葉を続かせると、兄はほんの少し眉を顰めた。
「バイト?何で悠樹がバイトなんかしているんだ」
「……あの男。海藤凌のもとから、一刻も早く離れる為だよ。」
自然と眉が寄って、自分の声が刺々しいものに変わってゆくのが分かる。
黙って聞いていた兄は、驚いたように少し身を乗り出し、心配げな表情を見せた。
「海藤に何かされたのか?悠樹は綺麗な顔してるからな、男が血迷ってもおかしくないが…」
妙な発言に、兄の後ろ側にいた刑務官が、ちらりと此方を見て来る。
好奇の眼差しを向けられる事に耐えられず、僕は慌ててかぶりを振り、口を開いた。
「そう云う冗談、嫌いだからやめて。別に何もされてないけど…でも、あいつ、ヒロ兄ちゃんをムショ送りにした元凶じゃないか。そんな奴と一緒に居たくなんか無い。許せないよ、」
ふつふつと怒りが湧いて手に力が篭もり、きつく拳を握った。
脳裏に、海藤凌を殴った自分の姿がどうしてか浮かんではっとし、慌てて拳を緩めた瞬間、兄が溜め息を零す。
「…なあ悠樹、海藤のこと恨まないでやってくれ。おまえが誰かを憎んでいるのは、辛い。おまえも、誰かを憎み続けるなんて辛いだろう?」
「ヒロ兄ちゃん…でも、僕…」
相手の言葉を素直に受け入れる事も出来ずに言い淀み、少しだけ目を逸らした。
けれど直ぐに名を呼ばれ、僕はたどたどしく視線を戻す。
「海藤はどうしておまえを、あっさり引き取ったんだと思う?」
「…知らない。あんな奴のことなんて、知りたくもない」
「まあ聞けって。海藤な、俺を走らせたこと、後悔してんだよ。あいつは最初から、俺を走らせる事に負い目を感じていた。だから、俺の頼みをあっさりと呑んだんだ。」
苦々しげに語るその表情を見ていると、段々と居心地が悪くなった。
兄は、純粋に、旧友の海藤凌の事を語っているのに………僕は、嫉妬している。
僕が見た事もないような、兄の一面を海藤凌は知っているんじゃないかと考えると、腹立たしくもなった。
「でも…でもヒロ兄ちゃんを走らせたのは、あいつじゃないか。あいつが全部悪い。あいつが、僕から家族を奪った……兄ちゃんは僕の、たった一人の家族なのに」
「悠樹、走ると決めたのは俺自身だ。海藤に無理矢理走らされた訳じゃない。……だから、おまえには悪いけれど、此処に入った事に後悔はしていない。俺が自分で決めた道だからな」
力強い言葉を返されて、一瞬、頭の中が真っ白になった。
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