告白…6
兄は、無理に走らされた結果、刑務所に入ったのだと思っていた。
この現状に嘆いていて、だけど会長の海藤凌に向けて、文句なんて言えないのだろうと思っていた。
でもそれは、僕の、勝手な勘違いだった訳だ。
「…それにしても、俺が勝手に走ったようなもんだから、海藤が負い目を感じる必要は無いのにな。あいつは本当に、いい奴だよ」
兄は可笑しそうに少しだけ笑って、目の前に僕がいるのに遠くを見て呟いた。
――――――僕を、見てはくれない。
彼の頭の中には、海藤凌の姿が浮かんでいるのだろうと考えると、居た堪れなくなった。
僕には入り込めない領域が、兄と海藤凌の間にはあるように思えて疎外感すら感じる。
「……帰る。」
ぽつりと零して、静かに椅子から立ち上がった。
硝子の向こう側にいる兄へ背を向けて進みだすと、背中に呼び声が掛かる。
振り向けば、椅子から腰を上げた兄が、少し照れ臭そうな表情で此方を見ていた。
「悠樹、ずっと言おうと思っていたんだけどな…此処から出たら、俺、結婚しようと思うんだ」
「……え、」
「好きな女が居るんだ。出所したら、会わせてやるからな」
おめでとうと云うべきなのに、掛けるべき言葉は出なかった。
呆然として兄を見つめていると、相手は更に言葉を続かせる。
「それと、頼むから海藤のこと…憎まないでやってくれな。あいつ、いい奴なんだ。……樋口組長に似て、少し、不器用な奴だけど。」
親しげな物言いで言葉を放った後、硝子の向こう側で兄は、深々と頭を下げた―――――。
途中から降り出した雨は、次第に雨足を強め、僕の身体をずぶ濡れにした。
少し濡れても大丈夫だろうと考え、途中で傘を買う事もせずにいた結果、濡れ鼠になった。
玄関で靴を脱ぎ捨てた後、僕はすぐに濡れた靴下も脱ぎ去った。
自室へ戻る前に、風呂に入ってしまおうと思って廊下を進みだすと、途中で海藤凌と鉢合わせる。
「……ただいま」
少し躊躇った後、ずっと口にしていなかった挨拶を小声で放った。
相手は少し驚きの表情を浮かべて僕を一瞥し、やがて頷く。
「何か有ったのか、」
尋ねられても正直には答えられず、かぶりを振ってから相手の横を通り、浴室へ足を進めようとした。
その瞬間、強い力で腕を掴まれる。
「悠樹、何が有った?」
振り返ると、真摯な双眸と目が合う。
掴まれたままの腕を少し引いて見るけれど、相手は離してくれず、僕は諦めて目を伏せた。
「兄貴が…あんたを、憎むなって言うから…」
「浩樹が何と言おうと、お前が憎みたければ憎めば良いだろう、」
「でも、兄貴が…兄貴が、頭下げて……いい奴だって、憎まないでくれって…」
「……悠樹、お前…浩樹のことが好きなのか?」
少し間があいた後、不意に、相手が静かな口調で尋ねて来た。
兄に対しての想いは、必死で隠してきたつもりだったのに………あっさりと見抜かれた事に、内心ひどく驚く。
「…気持ち、悪いだろ」
気まずい状況に少し躊躇って俯き、意味無く視線を彷徨わせた。
触れるのすら気持ち悪いんじゃないかと考えるが、相手は僕の腕を掴んだまま離そうとはしない。
「いや。そう云った感情は抱かないな。だが…浩樹には、オンナが居た筈だが?」
「…知ってるよ。今日、聞いた」
「浩樹を奪おうとは思わないのか、」
「そんな事して何になるんだよ。兄貴が、それを望んでいないんだ。兄貴にとって僕は……」
物静かな口調で問われると堪らず、僕は勢い良く顔を上げて相手を睨むように見た。
いつだって僕の味方をしてくれて、僕を優先してくれた“自分だけの兄”が、いなくなった。
兄にとっての一番が、僕じゃなくなった。
たかがそれだけの事なのに苦しくて、悔しくて………切ない。
「僕はただの……弟、でしか…無いんだ……だから、兄貴の幸せを願うしか、無いじゃないか…」
泣いてしまいそうだと考えて、かぶりを振る。
兄の前でなら幾らでも泣けるけれど、それ以外の場所で泣くなんて
格好悪いからしたくないと思い、目を伏せた瞬間、いきなり強い力で引き寄せられて抱き締められた。
「な…なに、濡れるよ、」
僕の身体はびしょ濡れだと云うのに相手は、高級なスーツが濡れることなんて構わない様子で、強く抱き締めて来る。
微かにコロンの匂いがして、嫌いじゃない匂いだなと思案した僕は、もしかしてと考えを続かせた。
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