誓約…2
どうにか気を紛らわそうと、凪は広い室内を見回した。
部屋の中央には、大きなクリスマスツリーが置かれ、華やかな飾りや電光飾が巻きついている。
兄の猛と過ごしたクリスマスの想い出を話したら、樋口が購入してくれたのだ。
樋口は対抗意識を抱いての行動だったが、凪はそれに気付けず、
猛とクリスマスを過ごせない自分に、気を遣ってくれているのだろうと幸せな勘違いをしていた。
この部屋はアーチ型の鳥籠のような造りになっていて、床から上まで伸びた鉄格子が
天井でアーチを描き、鉄格子の間には防弾硝子が嵌めこまれている。
防弾硝子の向こう側は生い茂った緑が広がって中庭になっており、クリスマスが近いからとの理由で植物が幾つか増えた。
ベッドから降りた凪は硝子へ近付き、中庭を眺める。
ほんの少しうつむいた形で花を咲かせている、淡い桃色のクリスマスローズが目に映る。
上品で落ち着いた雰囲気を持っていると同時に、何処と無く凛としている姿は、惹かれるものがあった。
その横には、緑の実をつけたバーゼリアが並んでいる。
バーゼリアは春になれば、愛らしい球形の白い花を咲かせる為、春を待ち遠しく思わせてくれる花だ。
そして―――クリスマスの代表の花とも呼ばれる、ポインセチアが視界に入る。
苞葉の鮮紅色と下葉の緑のコントラストが一際美しく、目を惹く。
淡黄色や白色のポインセチアも有り、苞葉に斑模様がはっきりと入っていて
本当にきれいだと、凪は心の底から思う。
ポインセチアを眺めていた凪は、ふと、記憶を呼びさました。
あの鮮紅色の部分は、花に見えるが実は苞葉で、花弁は中央の黄色の部分だと説明した時
樋口は優しい表情で「凪君は物知りですね」と、頭を撫でて褒めてくれたのだ。
瞼を閉じれば、樋口の姿が鮮明に浮かんで、さびしさは一層強まってしまう。
せめて声だけでも聞きたいと願い、溜め息を零した矢先に、扉の開く音が響いた。
細く長い廊下を駆ける音が聞こえたが、足音からして、樋口ではないと直ぐに分かる。
樋口の足音はもっと落ち着いていて、ゆっくりとしたものだ。
「凪さま、おはようございます! ……って、なんか顔色悪いですけど大丈夫ですか?」
朝から大きな声量を出し、勢い良く頭を下げた男は、すぐさま凪の顔色の悪さに気付いて眉を寄せた。
目の下に隈まであるのだから、凪が睡眠をとっていないのは明らかだ。
「ひょっとして凪さま、眠ってないんじゃ…」
真顔で尋ねてくる男に向けて、凪は弱々しくかぶりを振るだけで何も云わない。
それどころか、居心地悪そうに視線を逸らし、ほんの少しだけ俯いてしまう。
凪の余所余所しい態度を前にしても、男には苛立つ素振りは無い。
この青年が内気な性格だと云うことは、重々承知している。
兄貴分の阿久津から聞かされてもいたが、凪を前にして、本当に内気な性格なのだと納得した。
他人とコミュニケーションを取ること自体、苦手なのだろう。
歯切れが悪い所為で滑らかな会話も出来ず、相手の目も見ようとせず、いつもびくびくしているのだ。
言葉を多く交わすこともせず、凪から話題をふってくることなど、滅多に無い。
しかも、ここ最近は拍車が掛かって、男が話し掛けても相槌しか返さなくなった。
その理由が何なのか、何となく、男は分かっている。
(……たぶん、樋口組長が戻られないからだろうな。)
分かってはいるが、どう声を掛けるべきか悩んでしまう。
困惑気に頭を掻いた男は、不意に、部屋の中央にあるツリーに目を向けた。
組員の噂によれば、樋口は最初、巨大なツリーを買おうとしたらしい。
しかし、内気な性格の青年に止められ、渋々、このツリーにしたのだと聞いた。
それでも青年の身長より大きいのだから、樋口の意地がひしひしと伝わってくる。
青年に対しては、ひとが変わったように甘くなる樋口に、少なからず失望している組員もいるが
男は何があっても、樋口を崇拝し続けていた。
自分の憧憬である残忍で冷酷な一面を、樋口は相変わらず持ち続けているのだ。
この青年の前でだけ、態度が豹変する。
ただ、それだけで、樋口組長の人格自体が変わってしまったわけでは無いのだから、失望などしない。
男はそう思案したのち、沈んだ表情の凪に視線を戻した。
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