誓約…03

 憧れである樋口組長が心底大切にしている相手なのだから、自分も、丁重に扱わなければならない。
 そんな風に思えるほど樋口を崇拝している男は、青年を励ましてみようと決める。

「樋口組長なら、もうすぐ帰ってきますよ。…たぶん。組長は、すげぇひとなんです。
それに、あの瀬尾さんと阿久津さんがついてるんですから、ゴミなんざ直ぐに片付けちまいますよ。…たぶん」
 樋口がいつ戻るのか聞かされていないのだから、確実に、とは言い切れない。
 それでも、明るく大きな声量で励ましてやる。
 すると凪は、相手に気を遣わせてしまっている事に気付き、申し訳なさそうに目を伏せた。

「あ、有難う…ございます、杉野さん…」
「礼なんて良いんっすよ。それより、もっと楽しいこと考えましょうよ。
もうすぐクリスマスですからねー、考えるだけで楽しいんですけど。凪さま、プレゼントは差し上げるんですか?」
 顔を綻ばせた杉野に、凪は弱々しくかぶりを振って見せた。

「僕、クリスマスプレゼント、とか…誰かに…あげたこと、無いから…」
「ああ…クリスマスプレゼントもいいっすねぇ。俺、去年のクリスマスに彼女とプレゼント交換して、すっげぇ嬉しかったっす」
「プレゼント、交換……そんなの、あるんだ…」
「まあ、恋人同士…なら、大半がやってるんじゃないっすかね」
 凪は興味深そうに顔を上げて、ぽつりと呟く。
 それに大きく頷いた杉野は、若干照れくさそうに、指で頬を掻いた。
 自分のような人種が“恋人”と口に出すのは、なんだか無性に恥ずかしいことのように思え、多少落ち着かない気分にもなる。

「…いい、な…」
 凪は眉根を寄せ、珍しく羨望の言葉を零した。
 それを聞いた杉野が怪訝そうに首を傾げ、やがて、自分が云おうとしていた事が微妙にずれていると気付く。
「あれ…違うな。クリスマスプレゼントの話じゃなくて、俺が云いたいのはプレゼントっすよ」
「え、クリスマスの…?」
「いやいや、だから、誕生日プレゼントです」
「……誰の?」
 小難しい顔をする凪を見て、杉野は驚く。
 樋口組長の情人で、何よりも樋口組長を愛しているこの青年が、まさか知らないとは思いも寄らなかった。

「誰のって、凪さま…知らないんですか。25日は、樋口組長の誕生日っすよ」
「う、うそ…聞いて、ない…」
 今度は凪が驚き、目を見開く。
 ショックを受けている凪の様子に、杉野は慌てて声を掛けた。

「て、天下の樋口組の親分が、クリスマスが誕生日だなんて恥ずかしくて言えませんよね。
ほら、好きな相手には格好つけたいもんじゃないっすか。だから言えなかったんですよ」
「そう…かな…」
「そうですよ、絶対そうに決まってますよ。…多分」
 自分で云っておいて自信は無く、語尾は弱まる。
 若干複雑な表情をした凪が、やがて俯き、眉根を寄せた。

「どうしよう……僕、プレゼント…なにも、考えてない…」
 肩を落とし、悄気込む姿を前にして、杉野も溜め息を吐きたくなる。

 女の慰め方は知っていても、流石に、男の慰め方は知らない。
 しかも、相手は樋口組長の情人なのだから、下手な言葉も掛けられない。
 思い悩んでいる凪を見て、杉野も暫くは悩んでいたが、やがて腕時計へ視線を向けた。

「凪さま、朝食出来てるんで、喰いましょうよ。腹が減っては、いい考えも浮かびませんし」
「え、あの…僕、お腹減ってなくて…」
「昨日もそう云って、晩飯喰わなかったじゃないっすか。やばいっすよ、少しでも喰わなきゃ倒れちまいます。
そんな事になったら俺、樋口組長の前で腹切んなきゃいけなくなります」
 物騒なことを平然と云われ、凪は怯えた色を顔に浮かばせる。
 やくざの世界はやはり慣れないし、未だに良く分からない。
 自分が倒れただけで、どうして杉野が腹を切るのか、凪にはまったく理解出来なかった。
 しかし、そこまで云われてしまっては食べない訳にもゆかず、凪は理解出来ないまま頷いて見せる。

 杉野は安堵したように笑い、一礼してから、食事を運ぶ為にその場を走り去った。
 足音が高らかに響いて、やがて扉の開閉する音が耳に届くと、凪は再び溜め息を吐く。
 脳裏には、樋口の誕生日のことが、ぐるぐると回っている。

「…どうしよう、僕…何かあげたいよ…」
 困り果てた様子で眉根を寄せ、もう何度目になるか分からない溜め息を零した。


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