誓約…05
「このガキ、ワシに恥掻かせおって…ッ」
廃工場から大分離れた場所で、野田は橋宮を車中から放り出した。
顔は憤怒の表情で、先刻までの臆病な姿はどこにもない。
「なんでよりによって、あの樋口組の人間なんかに咬み付いたんだっ、ええ?」
「す、すんません…でも、あいつが…俺の女に手ェ出しやがって…」
「女の一人や二人、いくらでもおるやろ、ぼけが! てめぇの女なんぞ知ったこっちゃねぇ!
ワシの組がのうなってもええんかっ、おぉっ?」
樋口に終始低姿勢だった鬱憤を晴らすかのように、野田は橋宮を蹴り上げた。
折れ曲がっている足を容赦なく踏みつけると、橋宮の絶叫が響く。
「ワシの顔に泥塗りおって…いいか、あの二億はワシの組を守る為だ。てめぇの為に出す訳がねぇ……てめぇはもう、絶縁だ。おい、絶縁状回状しとけ」
部下に命じた後、野田は唾を吐き捨て、車に乗り込んだ。
橋宮を置き去りにして、車は無情にも去ってゆく。
それを恨めしげに見送り、橋宮は獣のように呻いた。
「くそ…あの野郎も、俺をこんな目にしやがった…樋口、も……、」
憎悪の念を抱いた橋宮は、最後まで云えずに意識を失った。
凪は杉野に頼み込んで、求人雑誌や折込チラシなどを幾つも持ち込んで貰い、自分が出来そうなアルバイトに印をつけていた。
それだけではおさまらず、書かれてある番号に電話まで掛けようとしたが
樋口が不在の時にそれは流石に拙い、と。先刻、杉野が慌てて止めたばかりだ。
「しっかし…凪さま、意外と行動力有るんですね」
新たに広告を持ってきた杉野が、感心の声を上げる。
内向的な彼は普段、歯切れの悪い喋り方をするものだから
行動力もあまり無さそうだと思っていたのが、本音だ。
「凄いっすよ、そう云うのって」
飾らない直球的な言葉で褒められ、凪はほんの少し照れたように笑う。
反射的に杉野が笑い返した瞬間、扉の開く音が響いた。
ゆっくりと此方へ近付いてくる靴音を耳にして、凪の瞳が見開かれる。
廊下のほうに視線を注ぐ凪につられ、杉野も目を向けると―――――樋口が、姿を現した。
樋口は杉野を一瞥しただけで声は掛けず、ベッド上にいる凪のもとへ真っ直ぐに向かう。
「樋口、さん…お帰り、なさい…」
目の前まで近付いた樋口が上体を屈め、抱き締める前に、凪は自ら両腕を伸ばして抱き付いた。
その光景に杉野は慌てふためき、樋口が見ていないのにも関わらず一礼して、逃げるように去ってゆく。
「凪君、いい子で待っていましたか? ……顔色が、少し悪いですね」
「……さ、さびしくて…心配で、…眠れなかった、から…」
震えた声で本音を零す凪を前にして、樋口は胸を熱くさせた。
今すぐにでも衣服を剥がし、華奢な身体を組み伏せてやりたい衝動に駆られ
それを何とか抑えているとシーツ上にある雑誌や広告が目に留まり、眉を顰めた。
身体を離して徐にそれを手に取った樋口へ、遠慮がちな声が掛かる。
「あの、あの……僕、…バイトが、したくて…」
「バイト?」
「う、うん…樋口さんの誕生日プレゼント、買いたい…から…」
「駄目です」
一考する様子も無く即座に反対され、凪は目を丸くした。
次第に、表情は悲しげなものに変わる。
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