誓約…06
「ど、どうして…」
「凪君は働かなくていいんです。欲しい物が有るのでしたら、俺が買って差し上げますよ」
「で、でも…僕…バイト…」
「絶対に、駄目です。」
最後まで云わせまいとするかのように、強い口調できっぱりと返され、凪は言葉を失くした。
納得のゆく理由を告げてもくれない樋口に対し、誕生日を教えて貰えなかった事も重なって、珍しく不満を抱く。
凪の不満を察したかのように樋口は眉を顰め、続いて、つまらなさそうに視線を逃した。
「……俺の誕生日なんざ、祝って貰うほどのものでは有りませんよ」
耳に入った言葉はあまりにも素っ気無く、凪は胸を痛ませる。
―――――好きなひとの誕生日だから、祝いたいのに。
そう願うこと自体が間違いなのかと思うと、樋口との間に距離があるのを感じ、凪は悔しげに俯く。
凪の様子に、樋口は云いすぎたかと内心焦りだし、細い顎を掴み、そっと掬い上げた。
泣いているものかと思えば、此方を見上げて来る凪の瞳は濡れていない。
性格は内向的でも、凪は滅多なことが無ければ泣かず、彼の涙を樋口はここ最近見ていなかった。
一瞬、凪を泣かせてみたい衝動に駆られた樋口は、そんな自分に対し、舌打ちを零す。
その疎ましげな舌打ちが、樋口自身に対してのものだと察することも出来ず、凪の胸は、ずきりと痛んだ。
「もうこの話は止めましょう。くだらねぇ事で、凪君と過ごす時間を壊したく有りませんし」
(……くだらない、こと?)
上から降ってきた言葉が、心に直接、突き刺さる。
目を大きく見開いた凪は身を捩り、まるで逃げるように樋口の手から離れ、距離を取った。
眉根を寄せ、精一杯の反抗的な眼差しを、樋口に向ける。
「…樋口さんの、樋口さんの………わ、分からず屋…っ」
微かに震えた唇から驚くべき言葉が零れ出て、樋口は思わず瞠目した。
普段は素直で大人しい筈の凪が、反抗的な態度を取るのは
あまりにも珍しく、樋口は一瞬思考が停まり、硬直してしまう。
呆然としている樋口に構わず、凪は急いでベッドから降り、駆け出した。
部屋の奥に備え付けられている浴室へ向かうと、凪は内側から鍵を掛けて、閉じこもる。
「……ナギ、ちょっと待て、おい…」
ようやく我に返った樋口が、独り言のように呟く。
その声は虚しく部屋に響くだけで、凪の返答は幾ら待っても、聞こえて来なかった。
浴室に閉じこもってから数分と経たずに、凪は寝入ってしまい
反応が無い凪を案じた樋口がドアを蹴り破って侵入し、その場は丸くおさまった―――かと思いきや。
凪はあの日以来、ろくに口をきかず、身体に触れさせてもくれない。
隣で規則正しい寝息を立てながら眠っている凪に視線を向け、樋口は参ったように目元を押さえる。
普段なら寄り添って眠る筈が、今では、此方に背を向ける格好で、凪は眠っているのだ。
凪に会えず、声すら聞けなかった樋口にとって、この仕打ちはきつすぎる。
拒まれる日が続き、凪に会えなかった数日間を足せば、もう一週間以上は抱いていないことになる。
抱く事しか考えていない訳では無いが、相手が凪だと云うだけで、まるでガキのように盛ってしまう。そんな自分に、樋口は半ば呆れていた。
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