誓約…2

 この部屋はアーチ型の鳥籠のような造りになっていて、床から上まで伸びた鉄格子が天井でアーチを描き、鉄格子の間には防弾硝子が嵌めこまれている。
 防弾硝子の向こう側は生い茂った緑が広がって中庭になっており、クリスマスが近いからとの理由で植物が幾つか増えた。
 ベッドから降りた凪は硝子へ近付き、中庭を眺める。
 ほんの少しうつむいた形で花を咲かせている、淡い桃色のクリスマスローズが目に映る。
 上品で落ち着いた雰囲気を持っていると同時に、何処と無く凛としている姿は、惹かれるものがあった。
 その横には、緑の実をつけたバーゼリアが並んでいる。
 バーゼリアは春になれば、愛らしい球形の白い花を咲かせる為、春を待ち遠しく思わせてくれる花だ。
 そして――クリスマスの代表の花とも呼ばれる、ポインセチアが視界に入る。
 苞葉の鮮紅色と下葉の緑のコントラストが一際美しく、目を惹く。
 淡黄色や白色のポインセチアも有り、苞葉に斑模様がはっきりと入っていて、本当にきれいだと、凪は心の底から思う。
 ポインセチアを眺めていた凪は、ふと、記憶を呼びさました。
 あの鮮紅色の部分は、花に見えるが実は苞葉で、花弁は中央の黄色の部分だと説明した時、樋口は優しい表情で『凪君は物知りですね』と、頭を撫でて褒めてくれたのだ。
 瞼を閉じれば、樋口の姿が鮮明に浮かんで、さびしさは一層強まってしまう。
 せめて声だけでも聞きたいと願い、溜め息を零した矢先に、扉の開く音が響いた。
 細く長い廊下を駆ける音が聞こえたが、足音からして、樋口ではないと直ぐに分かる。
 樋口の足音はもっと落ち着いていて、ゆっくりとしたものだ。
「凪さま、おはようございます! ……って、なんか顔色悪いですけど大丈夫ですか?」
 朝から大きな声量を出し、勢い良く頭を下げた男は、すぐさま凪の顔色の悪さに気付いて眉を寄せた。
 目の下に隈まであるのだから、凪が睡眠をとっていないのは明らかだ。
「ひょっとして凪さま、眠ってないんじゃ……」
 真顔で尋ねてくる男に向けて、凪は弱々しくかぶりを振るだけで何も云わない。
 それどころか、居心地悪そうに視線を逸らし、ほんの少しだけ俯いてしまう。

 凪の余所余所しい態度を前にしても、男には苛立つ素振りは無い。
 この青年が内気な性格だと云うことは、重々承知している。
 兄貴分の阿久津から聞かされてもいたが、凪を前にして、本当に内気な性格なのだと納得した。
 他人とコミュニケーションを取ること自体、苦手なのだろう。
 歯切れが悪い所為で滑らかな会話も出来ず、相手の目も見ようとせず、いつもびくびくしているのだ。
 言葉を多く交わすこともせず、凪から話題をふってくることなど、滅多に無い。
 しかも、ここ最近は拍車が掛かって、男が話し掛けても相槌しか返さなくなった。
 その理由が何なのか、何となく、男は分かっている。

(……たぶん、樋口組長が戻られないからだろうな。)
 分かってはいるが、どう声を掛けるべきか悩んでしまう。
 困惑気に頭を掻いた男は、不意に、部屋の中央にあるツリーに目を向けた。

 組員の噂によれば、樋口は最初、巨大なツリーを買おうとしたらしい。
 しかし、内気な性格の青年に止められ、渋々、このツリーにしたのだと聞いた。
 それでも青年の身長より大きいのだから、樋口の意地がひしひしと伝わってくる。
 青年に対しては、ひとが変わったように甘くなる樋口に、少なからず失望している組員もいるが、男は何があっても樋口を崇拝し続けていた。
 自分の憧憬である残忍で冷酷な一面を、樋口は相変わらず持ち続けているのだ。
 この青年の前でだけ、態度が豹変する。
 ただ、それだけだ。
 樋口組長の人格自体が変わってしまったわけでは無いのだから、失望などしない。
 男は、沈んだ表情の凪に視線を戻した。
 憧れである樋口組長が心底大切にしている相手なのだから、自分も、丁重に扱わなければならない。
 そんな風に思えるほど樋口を崇拝している男は、青年を励ましてみようと決める。

「樋口組長なら、もうすぐ帰ってきますよ。……たぶん。組長は、すげぇひとなんです。それに、あの瀬尾さんと阿久津さんがついてるんですから、ゴミなんざ直ぐに片付けちまいますよ。……たぶん」
 樋口がいつ戻るのか聞かされていないのだから、確実に、とは言い切れない。
 それでも、明るく大きな声量で励ましてやる。
 すると凪は、相手に気を遣わせてしまっている事に気付き、申し訳なさそうに目を伏せた。
「あ、有難う……ございます、杉野さん……」
「礼なんて良いんっすよ。それより、もっと楽しいこと考えましょうよ。もうすぐクリスマスですからねー、考えるだけで楽しいんですけど。凪さま、プレゼントは差し上げるんですか?」
 顔を綻ばせた杉野に、凪は弱々しくかぶりを振って見せた。
「僕、クリスマスプレゼント、とか……誰かに……あげたこと、無いから……」
「ああ……クリスマスプレゼントもいいっすねぇ。俺、去年のクリスマスに彼女とプレゼント交換して、すっげぇ嬉しかったっす」
「プレゼント、交換……そんなの、あるんだ……」
「まあ恋人同士なら、大半がやってるんじゃないっすかね」
 凪は興味深そうに顔を上げて、ぽつりと呟く。
 それに大きく頷いた杉野は、若干照れくさそうに、指で頬を掻いた。
 自分のような人種が“恋人”と口に出すのは、なんだか無性に恥ずかしいことのように思え、多少落ち着かない気分にもなる。

「……いい、な……」
 凪は眉根を寄せ、珍しく羨望の言葉を零した。
 それを聞いた杉野が怪訝そうに首を傾げ、やがて、自分が云おうとしていた事が微妙にずれていると気付く。
「あれ……違うな。クリスマスプレゼントの話じゃなくて、俺が云いたいのはプレゼントっすよ」
「え、クリスマスの……?」
「いやいや、だから、誕生日プレゼントです」
「……誰の?」
 小難しい顔をする凪を見て、杉野は驚く。
 樋口組長の情人で、何よりも樋口組長を愛しているこの青年が、まさか知らないとは思いも寄らなかった。
「誰のって、凪さま……知らないんですか。25日は、樋口組長の誕生日っすよ」
「う、うそ……聞いて、ない……」
 今度は凪が驚き、目を見開く。
 ショックを受けている凪の様子に、杉野は慌てて声を掛けた。

「て、天下の樋口組の親分が、クリスマスが誕生日だなんて恥ずかしくて言えませんよね。ほら、好きな相手には格好つけたいもんじゃないっすか。だから言えなかったんですよ」
「そう……かな……」
「そうですよ、絶対そうに決まってますよ。……多分」
 自分で云っておいて自信は無く、語尾が弱まる。
 若干複雑な表情をした凪が、やがて俯き、眉根を寄せた。
「どうしよう……僕、プレゼント……なにも、考えてない……」
 肩を落とし、悄気込む姿を前にして、杉野も溜め息を吐きたくなる。






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