理想の犬?…01

 毛並みは黒。ハンサムで、目つきは少し鋭い。
 それから、雰囲気は気高そうだけれど、どこか野性的で雄々しい……大型犬が良い。
 僕の命令をきちんと聞いて、従順で他人には絶対懐かないような、そんな、犬が欲しい。

 実兄の顔を眺めながら、今年で高校生になったばかりの千尋は、ぼんやりとそんな事を考えていた。
 千尋の前に胡坐を掻いて座っている兄は、まだ一言も言葉を紡いでいない。
 この部屋を訪れてから座り込んだままで、十数分が経過しようとしていた。
「千尋、」
 それまで静寂だった室内に、低い声が響く。
 制服姿の千尋は自分の考えから抜け出すように、視線をゆっくりと目の前の兄に向ける。
 高そうなスーツに身を包み、端整で精悍な顔つきをした男の姿が、視界に入った。
 十九も歳が離れている実の兄は、眉を顰めながら千尋を見返す。
「俺は、この家を出る」

 (普段から、あまり帰って来ない癖に、今更何を云っているんだろう…)
 心中で相手を蔑みながらも、淋しそうな顔を浮かべる事は忘れない。

「兄さん、じゃあ僕はどうなるの、」
 責めるような口ぶりに、兄は千尋から逃げるように目を伏せた。
 難しい顔をしているが、結論は変わらないらしい。

「おまえは、此処に残るんだ。……世話は執事がやってくれるだろうし、俺と一緒に居るよりかは、楽な生活が出来るだろう?
おまえの口座に、爺さんの遺産を少し振り込んでおいたから金は問題ないし、今まで通り…いや、今まで以上に好き勝手出来る。」

 つまりは、厄介払いらしい。
 自分が居れば、兄は自由な生活が出来なくなるし…女好きな彼の事だ。
 一人暮らしの方が、色々と都合が好いのだろう。
 それを察しとってしまう千尋は、心中で苦笑を浮かべた。
 まだ義務教育を終えたばかりの子供なのに、妙に察しが良い自分が、何となく滑稽に思えたのだ。
「千尋、他に望みは有るか?生活費は全て俺が出すし、おまえの口座に振り込まれた金は、自分の欲しい物だけにつぎ込めばいい。無くなったら、またいくらでも振り込んでやる。」
 どうやら遺産は、腐る程有るらしい。
 だが、祖父のように金に執着しない千尋にとっては、どうでもいい話だった。
 彼の頭の中では、子供の頃から欲しかった、犬の姿だけが浮かんでいる。

「…執事はいらない。この屋敷に居る、全ての人間を解雇して。僕は一度でいいから、自立をして、一人暮らしをしてみたかったんだ」
「千尋、おまえ…料理もろくに出来無い癖に、何を云っているんだ、」
 弟の世迷言とも云える発言に、呆れたように溜め息を漏らす。
 けれど千尋は、相手からすれば何を企んでいるのか全く読めないような、邪気の無い笑顔を浮かべている。
 その気が無い男でも、見惚れ、欲情してしまうほどに、それは魅力的で愛らしい。
「そこら辺は適当にするよ。でも、生活費の方はさっき云った通り、兄さんが払ってね」
 邪気の無い笑みをうかべていても、ちゃっかりさは変わっていないらしい。
 思わず弟の笑顔に見惚れていた兄も、その一言で我に返る。

「全くおまえは…長生きしそうだな、」
 大体、それでは自立と云えないだろう、と心中で呆れながらも口にはしない。
 話を終え、立ち上がった兄の姿を、千尋は目で追う事は無かった。
 何処か遠くを見つめながら、考え事に耽っているようだ。
 そんな弟の姿を見て、軽い溜め息を漏らしてから、男は部屋を出て行こうとする。

「兄さん、」
 逞しい背中へと、響きの良い声が掛けられる。
 足を止めて振り返る兄の顔をじっと見上げ、綺麗で薄く形の良いその唇に、千尋はうっすらと笑みを浮かべた。
 一瞬、弟のその表情に欲情してしまいそうになり、男は慌てたように視線を微かに逸らした。

「何だ、千尋。まだ何か…有るのか、」
 興奮してしまっている所為か、少しだけ声が上擦る。
 女好きなこの兄でさえも、惹き込まれてしまうような、そんな魅力的な雰囲気を千尋は持っている。
 少し幼さが残る整った顔は、完璧とも云える程に美しく、男にしておくのが勿体無いと、度々思う。
 透けるような白い肌はきめ細かく整い、形の良く整った唇はわずかに赤みを帯びて実に艶やかで……
 その気がない者でも、一瞬我を忘れて、血迷ってしまいそうになる。


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