『 両輪 』

「アマネ、やべぇよ、騙された」
 蒼白の表情でマンションの一室に駆け込んだ陸矢は、リビングに居た双子の弟を見るなり、震えた声で告げた。
 息を切らし、時折噎せる様子からして、エレベータを使わずに階段を駆け上がって来たのだろう。額には、しっとりと汗も浮かんでいる。
 スーツで階段を駆け上がるなんて格好悪い真似、自分には出来無いなと考えながら、天祢は机上へ広げていた研究レポートをまとめだす。
 大学のゼミ講師の手伝いとして出されたそれを終えて一息吐き始めた頃、タイミング良く現れた陸矢の言葉に、天祢は驚く様子も見せない。
 先ほど淹れたばかりの珈琲を口元へ近付け、鼻先を擽る香りを堪能し、続いて陸矢へ視線を注ぐ。
「騙されたって、また?…詐欺?」
「そう、それ!高校時代の親友なんだぜ…金に困ってて、借金取りにまで追われてるっつーから貸したんだ。貸したの、二週間前で…」
 早口で語りながらも陸矢はネクタイを緩め、解いては、また締める行動を繰り返す。

 ―――混乱してる時の人間の行動って、面白いな。
 動揺している陸矢を眺めて腹の内でそんな事を思いながらも、涼しい顔で珈琲を喫した。

「んで、今日アパートに行ってみたら三日前に出て行ったとかで…携帯にも電話してみたんだ。そうしたら、あいつ、笑ってやがった」
 陸矢の悔しげな表情を前にして、天祢は僅かに眉を顰める。
 笑われて……そして恐らく、馬鹿にされたのだろう。
 お人好しな陸矢は昔から他人に騙され、馬鹿にされて来たのだから、天祢には分かりきっている事だった。

 ―――俺の好きな人を馬鹿にするなんて、捻り潰してやりたいな、そいつ。
 カップの把手を持つ指に、力がこもる。
 ふつふつと込み上げて来る黒い感情を抑える為に、天祢は一度目を伏せた。

「…それで、いくらやったの?」
「六十万、」
 素早く返って来た言葉に、天祢は呆れ顔を見せる。
 そんな額、気安く渡せるほど高月給じゃないだろうと思うと、深い溜め息まで零れた。

「リクヤ…23にもなって、どれだけお人好しなんだよ。…まあ、大丈夫だろ。うち、金だけは腐るほど有るし。その六十万も、引き出して来ちゃえば?」
「おれは親父の金を使うのが嫌だから、働いてんだ」
 不機嫌な物言いで返され、天祢はうっすらと口元を緩めた。
 陸矢らしい答えだなと思案し、近くのソファへ座るよう促した後、キッチンへ向かう。
 天祢の背が見えなくなる前に陸矢はすかさず、広い背に向けて声を掛けた。
「アマネ、おれ、水でいいから」

 返答は、無い。
 沈黙が暫く続いた後、天祢がグラスを手にしてキッチンから出て来た。

「珈琲、まだ飲めないんだっけ?」
「無糖はな。」
「なら、砂糖入れたら飲めるんだろ、」
「そうだけど…お前は入れないのに、おれだけ砂糖入れて飲むなんて、何か嫌だ。」

 ……似ていない所を、実感したくない。好きな相手だから、余計に。
 本心を胸中に留め、陸矢は無意識に眉根を寄せた。
 異常なほど、自分が天祢に執着しているように思えてならない。
 困惑気に頭を掻いた途端、真向かいのソファに腰掛けた天祢が、くすりと笑った。

「普通さ、似ていない所を実感したいものだろ、双子って。何もかも似てたら、気持ち悪いし」
「な、なんの話だよ…」
 ぎくりとして視線を向けると、嬉しそうに双眸を細めている天祢の表情が、視界に入る。
「リクヤは本当に、俺の事が好きなんだなって話。」
 自分の考えを悟られていた事が恥ずかしく、居た堪れなくなった陸矢は少しだけ顔を背けた。
 そんな陸矢の反応が、天祢からして見れば愛しくてたまらない。
 今直ぐにでも、あのネクタイを掴んで引いて唇を塞いでやりたいと考えながら、長い足を組み直す。
「それで、どうするの。生活費も無い状況なんだろ?」


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