『 学校 』

 勉強を教えてくれ、と。そう切り出したのは、僕のほうだ。
 教わる科目は兄貴の担当科目だったのと、試験が近いのが合わさっていたお陰で、すんなりと了承してくれた。けれど、条件がついた。
 勉強する場所は、二人で暮らしているマンションじゃなくて、大学のカフェテリア。

 あすこはいつも人が居るし、入口近くの席は事務所から丸見えだ。
 僕が兄貴に悪戯したくても、何も出来無い。
 わざわざそこを指定した辺りからして、何もするな、と云う事みたいだ。

 参考書に書かれてある、錯視のくだりを読み上げている相手を眺めながら僕はふと、考える。
 場所は大学だけれど、これでも一応、デートと云うんだろうか。
 大好きなひとと一緒にいれば、何処だろうとデートになるのかも知れない。
 そう考えて、真向かいに座っている兄貴を観察しだす。

 参考書に目を落としている所為で、伏し目がちな表情。
 耳に届く、響きの良い声。
 頁をゆっくりと捲る、丁寧な指の動き。
 相手の行動すべてが堪らなく愛しくて、どきどきする。


「淳平、聞いているのか、」
 参考書を読み上げていた声が不意に止まって、彼は眉を顰めながら此方を見遣った。
 僕が見惚れている事に気付いたのか、その表情はひどく不機嫌そうだ。

「うん、聞いてる。」
「…嘘つけ。目が、ヤらしかった、」
 咎めるように云われて、僕は苦笑する。
 僕の目を惹き付けて離さない、魅力的な兄貴が悪いんだと、正直に言ってみたい。
 だけど、そんな事を言ったら怒りだすに決まっている。
 以前、暫く口をきいて貰えなくなった事が有った為、なるべく本心は隠しておくべきだ。


「えっと、それで、どこまで行ったんだっけ、」
「おまえ…やっぱり聞いていなかったんじゃないか。」
 苛立った声を零す相手が、僕からして見れば可愛くてたまらない。
 我慢なんて出来そうになく、咄嗟に周りを見まわしてみる。
 カフェテリアに居る人間はまばらで、誰もこっちを気にしていない。


 …………キスぐらい、しても平気なんじゃないだろうか。

「淳平、目がヤらしい。」
 よこしまな考えを抱いた途端、すかさず、不機嫌な声が掛かる。
 そんな目をしていたのかと訝る僕には構わず、彼は参考書の重要な部分をノートへ書き込んでゆく。
 その様子を眺めながら、よく兄貴に見惚れている女生徒達の事を思い出す。
 兄貴は気にもとめていないが、女性に良く好かれる質だ。
 見てくれがいいのが一番の理由だろうけれど、内面も、にんげんが出来ている。

 それに比べて、僕は、駄目だ。
 兄貴に好意を抱いている連中のことを思うと、どうしようも無い独占欲が、胸中で渦巻き始めるのだから。


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