『 リアル 』
八月に入ってから、暑い日がつづいている。
風のない、うだるような蒸し暑い中を、智はふらふらと歩く。
スクールバスは夏期休暇中、決まった期間しか運行しておらず、快適に大学まで行ける手立てもない。
タクシー代も持ち合わせていない為、灼けつく日差しを浴びながら徒歩で向かうしかなかった。
恨みがましく、道路を走る車をもう何度も見てしまっている。
「死にそう…」
騒がしい蝉の声に苛立ち、無意識に鬱陶しげな呟きを零す。
顎先から汗が滴り落ちて、智は忌々しいものを相手にするような手付きで、乱暴に拭った。
ようやく大学のキャンパスに辿り着いた頃には、背中が汗でぐしょ濡れになっていた。
不快感を堪えながら、待ち合わせ場所の教室へ向かう。
朝から夜まで開放されている、パソコン教室だ。
智はドアノブに手を掛けたが、開かない。鍵が掛かっているのではなく、内側から押さえられていた。
「合言葉を言え」
「なにそれ、小学生のノリ?」
思わず智が笑うと、ドアがゆっくり開かれる。
冷房の効いた部屋から、心地よい冷気が流れ出た。
「うっわ、涼しい。生き返る」
「のってこいよ、トモ。俺が馬鹿みてえだろ」
足早に教室の中へ飛び込むと、残念そうな声が背中に掛かる。
振り返った時には、既にドアが閉められていた。
「……トモ、すげえ汗だな」
「うん。ものすっごい暑かったから。シンヤはタクシーで来たの?」
「当たり前だろ。こんな中、歩くなんて狂気の沙汰だぜ」
慎哉は距離を縮め、平然と智の顎先を指で撫でる。
風変わりなその所作にも、智はすっかり慣れてしまった。嫌な顔一つしない。
男らしく整った外見からは想像がつかないが、慎哉はゲームオタクだ。
ゲーム内で、肩を組んだり身を寄せたりしているものだから、その内にリアルとゲームとの境界が曖昧になり、スキンシップもゲーム感覚でしているのだと、以前慎哉から聞かされたことが有る。
幼少時に少ししかゲームをしたことのない智には、共感できない話だったが、それが慎哉と云う人間なのだと考えれば納得できた。
やや過剰とも思えるスキンシップも、慎哉がするものだと思えば気にならないのだ。
が、掬い取った汗を躊躇もせずに舐められると、流石に智はすこし驚く。
「ひとの汗舐めるのも、狂気の沙汰だよ」
「そりゃどうも」
「……褒めてないんだけどね」
「それより、さっさと始めようぜ」
慎哉の手が肩に回って、身体を寄せてくる。
暑い中でそうされたら迷わず払っていたが、冷房の効いた室内では平気だ。
「もうログインしてるの?」
二台のパソコンが点けっぱなしになっていて、両方に慎哉が持ち込んだ、ゲーム機のコントローラが接続されていた。
智は二台の画面を交互に見てから、入力設定が表示されているほうのパソコンを選ぶ。
「ああ。街で待機してる。早くキャラクター作成しろよ、トモ」
「急かさないでくれよ。僕はネットゲーム初心者なんだから」
隣に座った慎哉が椅子を寄せ、彼の指示に従ってコントローラを握り、キャラクターの作成を行なう。
作り終えると、慎哉のキャラクターが待つ街へ移動し、休む間もなくチームを組まれる。
「そんじゃ、レベル上げに狩り行こうぜ」
「だ、だいじょうぶかな? 僕の、いきなり死んだりしない?」
「大丈夫だって、俺が守ってやるし。狩り場にワープするぜ」
智の覚悟が決まるのを待たず、慎哉はさっさと移動してしまう。
煌びやかな繁栄した街とは打って変わって、土埃の舞う不気味な廃墟へと、画面が切り替わる。
おそるおそる慎哉の後について進んでいた智が、不意に悲鳴をあげた。
崩れた瓦礫の中から、巨大な鳥がいきなり現れたのだ。
「こわいっこわいこわいっ」
「ふはっ、おまえ反応よすぎ。敵のタゲ、こっちに向かせるからじっとしてろよ」
怪鳥のけたたましい鳴き声が、ヘッドフォンから発せられる。
怯える智の様子が面白おかしく、慎哉は低い声で笑いながらキャラクターを素早く動かした。
改造と強化を繰り返したオリジナルのショットガンを構え、重い銃声を轟かせる。銃弾が命中する直前に、怪鳥の足元へ小型爆弾を投げた。
激しいスパーク、飛び散る火花。怪鳥が倒れた地響き。
その全てに反応して、コントローラーが振動する。
「わ、わわっ…!」
「ははは、トモとプレイすんの、おもしれーわ。さっきみたいなのが物陰にわんさかいるからな」
「ええ!? またいきなり出てくるの?」
「言ってるそばから現れたぜ」
「ひえっ」
智の全身がびくっと大きく震え、キャラクターは尻餅をついてしまう。
無防備のキャラクター目掛けて、鋭い爪と牙をむき出しにした狼型のモンスターが襲い掛かる。
咄嗟にコントローラから手を離し、智は両手で目を覆い隠した。
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