理想の犬?…03
「また学校行ってないのかい?俺もね、若い頃は何度もサボったりしてね…」
「わしの息子もなぁ、昔は学校は嫌だと云って、駄々をこねていてなぁ」
愉しげに語り始める男達の話を、千尋は面倒臭がらずに聴く。
頷き、相槌を打ち、相手の話に対して時には質問したりもする。
けれど自分の話は全くと云って良い程にせず、千尋は退屈を紛らわすように、男達の話を聴くだけだ。
自分よりも大分歳の離れている、父親と同じ年齢とも云える程の男達を目にしても、千尋は不快感など微塵も感じはしない。
その男達がどれ程、薄汚れ、みすぼらしくとも、彼は何とも思わないのだ。
「いい、いい。学校なんぞ行かなくても、おまえは俺の傍に居ればいい。なぁ、孝一」
薄汚れた手が千尋の頭を撫で、別の名前で呼ばれようとも、何も感じない。
一番年配のその男は、千尋を自分の息子のように扱っている。
少し頭が壊れているらしく、何度周りの者が注意しても、千尋を自分の息子だと言い切るのだ。
「おまえは良い子だからなぁ…あの女のようには、ならんでくれよ」
あの女、と云うのが、どの女なのか……千尋には、全く見当が付かない。
意味の分からない言葉を並べられても、にこやかに微笑んで、頷くだけだ。
「悪いなぁ、坊主。爺さん、最近更にボケが進んでるみたいでな…」
無精髭の男が、そっと耳打ちをするが、千尋は構わないと云うように首を横に振る。
そして手招きされるまま年配の男に近付き、まるで甘えるように膝上へと座って見せた。
「孝一はいつまで経っても、甘えん坊だものなぁ」
幸せそうな表情を浮かべながら、何度も頭を撫でてくる男を見上げ、千尋は微笑を浮かべ続ける。
幼くして両親を失った千尋には、父親と云う存在が分からない。
ただ、今のように大人の男性に頭を撫でられたり、優しくされると、少しだけ満たされるのだ。
周りの浮浪者達は、年配の男にわざわざ付き合っている千尋は優しい性格なのだと思い込み、更に彼に夢中になる者が増えてしまう。
「おっ、あいつも誘うか?」
正面に座っている男が、ふと千尋の後方を見て、気付いたように言葉を漏らした。
だがその男に賛成する者は居らず、皆口々に止めておけと、口を揃える。
「おーい、お前さんもこっち来ないか?」
しかし男は周囲の声を無視し、千尋の後方へ向けて、声を張り上げるように呼びかけた。
振り返るものの、年配の男の身体が後ろに有る為、良く見えず。
仕方なく少し身体をずらし、後方を振り返る千尋の目に映った人影は……薄暗い中で佇む、長身の男の姿だ。
良く見えないが、服装は周囲の浮浪者とは違い、汚れが見当たらない。
声を掛けられたその男は、こちらへと顔を向けるものの、何も云わずに広い背を向けて立ち去る。
近寄りがたいその雰囲気と広い背、長身で何処と無く気高そうな男の姿に、千尋は一瞬だけ見惚れてしまっていた。
顔は良く見えなかったが……肩まで無造作に伸びた髪は、黒のように思えた。
毛並みは黒く、他人には絶対に懐かないような……。
頭の中で、幼い頃から変わらずに思い描いていた、理想の犬の姿が浮かぶ。
「あの人…誰?」
無意識の内に自分の口から漏れた言葉に、浮浪者の一人が難しい顔を浮かべた。
どうやら、あまり評判は良くないらしい。
「数日前にふらっと此処に来たんだが…全く喋らない無愛想な奴でな。わしも名前は、知らんのだよ」
付き合い難い、と云う声が周囲から上がる中で、千尋はゆっくりと立ち上がる。
不思議そうに彼を見上げる浮浪者達には構わず、男の後を追うように、その場を走り去った。
「おじさん、」
薄暗い公園内、ベンチの上で寝そべっている男に向かって、声が掛けられる。
自分に声が掛けられたとは思っていないのか、それとも無視をしているのか、男からの返答は無い。
「ねぇ、おじさん」
もう一度声を掛けると、ようやく男はゆっくりと上体を起こし、間近で自分を見下ろしている青年へと、視線を投げかけた。
驚いたように一瞬だけ、男の片眉が上がる。
色白で、その顔は男と呼べるのか判断し難いほどに、中性的で整っている。
華奢でほっそりとした体躯や細い首、鎖骨のラインが美しく、思わず目を瞠ってしまう。
男臭さが全く無い、惹き込まれそうな雰囲気を持っているその青年を暫く眺め、男は口を開いた。
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