濡れる肌…02

「おまえだけが俺を好きだと口にしてくれれば…それでいい。」
 手を伸ばして、弟の柔らかな頬に触れて、スツールから腰を上げて顔を近付ける。
 シーツに片手を付くと、ギシッとスプリングが音を立てて、此方を何も言わずに見上げている弟の目を眺めながら、俺はクスリと笑った。
「キス…するか、」
 まだ幼さが残るその顔に見入りながら静かに囁くと、弟は驚いたように軽く息を呑み、瞠目した。
「……どう、して」
 薄く開いた唇が、微かに戦慄いている。
 相手の頬から手を離し、俺は弟の傍らへとゆっくり腰を下ろした。
「昨日の夜、俺の名を呼びながら、風呂場で一人でしていただろ」
 明瞭な口調で答えてやると、弟の顔は見る見るうちに青褪めていった。
 毛布を握っている手が震えていて、その手に優しく触れてやると、相手は跳ねるように手を引き、直ぐに両手で顔を覆った。
「おれ、おれ…ごめんなさい、あんなこと、しちゃいけないって…分かってて、」
 まるで帰り道に会った名前も知らない女みたいに、両手で顔を覆って、震えた声で言って―――項が綺麗だなとしか、関心を抱かなかった女。
 俺は勉強は出来るし記憶力も悪くは無いが、人の顔は関心が無いと、覚えられない歪んだ気質だ。
 だからあの女の顔なんて、悪いがもう忘れてしまった。
 それに俺はいつだって、こいつのことしか頭に無い。
 俺の事を考えながら一人でしていたんだと知ってから、もっと夢中になった。
 真面目なこいつは、どれ程の切ない想いを抱いて、一人でしていたんだろう。
 俺を想いながらして、その想いが強ければ強い程、余計に虚しさを感じた筈だ。

「……別に怒ってないし、軽蔑もしていない。だから、キスしようって言っているんだ」
「同情…?」
「どうしてそうなるんだよ、」
 恐る恐る俺に視線を合わせて、震えた声で問うて来る弟に思わず呆れた声を上げた。
 どういう考えでそんな風になったのか、気になって仕方が無い。
「だって、おれが報われない想いを兄ちゃんに抱いてるの、分かったんでしょ。でも兄ちゃんは優しいから……おれに同情してくれてるんでしょ」
「馬鹿。たかが同情なんかで男に、しかも実の弟なんかとキス出来るか」
「じゃあ、じゃあ何で、どうして…」
「おまえが、すっげぇ愛しいから」
 短く答えて身を乗り出して、形の良い唇を軽く奪う。
 弟は目を大きく見開いて、その態度が余計に可愛く思えて、俺はもう一度口付けた。
 柔らかい唇にきつく吸い付いて、何度か舐め上げながら弟の顔を見遣ると、相手は耳まで真っ赤になって、今にも泣きそうな程に眉を寄せて目を瞑っていた。
 その表情にひどく煽られて、弟の頤を親指で押して口を開かせ、直ぐに舌を差し入れる。
 弟の口内は温かくて、俺は嫌悪感を抱くどころか、心地好ささえ感じた。
「んっ…んぅ、ふ…っ」
 舌を絡め取って、じっくりと上顎や歯列を舐ったり舌先で突いたりすると、弟は鼻に掛かったような甘い声を漏らした。
 薄く開かれた目は、まるで酔っているように、少し虚ろで――――。

「………そんな目で見るなよ。犯したくなるだろ、」
 糸を引かせながら舌を抜き去って、口内に残った相手の唾液を躊躇い無く呑み込んで、自分の濡れた唇をうっすらと舐めながら、囁く。
 暫く此方を陶酔したように見上げていた彼は、少し経ってからようやく我に返り、躊躇いがちに視線を逸らした。
「お、犯すって…、男が男を、犯せる訳が…」
 そう口にするその表情には、嫌悪感も拒絶の色も浮かんでいない。
 少なからずその事に安堵して、もう一度だけ啄ばむように相手の唇を軽く奪って、俺は口元を緩めた。
「男同士でも出来るみたいだぜ。方法は、かなりエグイけどな」
 俺が口にしたエグイ、と云う部分に相手は反応して、まだ少し濡れている瞳に不安そうな色を浮かべる。
 その色を過敏に察する事が出来るのは、俺がずるい男だからだ。


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