Forget me not…07
「申し訳有りませんが、そう云った事は一切聞いておりません」
まだ、どの坂井か言っていないのに…。
全く相手にしようとしない男に、どう説明しようか考えてしまう。
流石に、藤堂社長に会いに来ました、なんて言えないし。
「…お引取り下さい。」
留まる事を許さないかのような、鋭く冷たい言葉が掛けられて、思わず肩が小さく跳ねてしまう。
この人…とても恐い。
その眼差しも声も、身体が震えるぐらい何だかとても恐くて…何よりも、雰囲気が一番恐かった。
まるで何か、ドス黒い獰猛な獣を連れているような…
気を抜いていたら、その獣に咬み殺されてしまうんじゃないかって程の、そんな恐ろしい雰囲気を持っている。
目の前のこの男の存在が、彰人はそう簡単に会える人では無いのだと
思い知らせてくれるみたいで…何だか悲しくなった。
僕が彰人の息子だと広まっていれば、直ぐにでも会えるのだろうか。
「葵君?」
俯いて、悔しさと恐ろしさで下唇を噛み締めていると、背後から名前を呼ばれた。
穏やかで優しいその声は、振り向かなくても誰のものなのか良く分かる。
「坂井…」
「あぁ、やはり葵君でしたか。連絡も無く一人で来られるとは…どうかなさったんですか?」
にこやかに微笑みながら、坂井は僕の方へと近付いて来る。
目の前の怖い男なんて、全然気にしていないみたいで…それが更に怖い。
「さ、坂井…あの…」
安堵感からか、涙が出て来そうになって、慌てて下を向く。
人前で泣くなんて、見っとも無い真似は出来無い。
公表されていなくても、僕は彰人の子供なんだもの。
「坂井…てめぇの客か、」
男の口調が、先程の丁寧だが冷たい口調とは一変して、ふてぶてしいものになる。
その変化に驚いている僕なんかお構いなしに、坂井は微笑みながら軽く頷くだけだった。
「さて、葵君…行きましょうか」
坂井は僕が彰人に会いに来たって事を察してくれたのか、エレベータの方へと案内してくれる。
「坂井、随分丁重じゃねぇか。そのガキ、そんなに大事なのかよ」
ガキって…。
初めて言われた言葉にムッとして振り返り、思わず男を睨んでしまう。
人前ではいつも、冷静で大人っぽい態度を保っている僕なのに…こう言う所はやっぱり、まだ子供みたいだ。
案の定、鋭く冷たい眼差しで睨み返されてしまい、蛇に睨まれた蛙状態になってしまう。
うぅ…彰人と同じぐらいの眼力持ってるよ、この人。
立ち止まって怯んでいると、坂井は僕の腕を優しく掴んで、
エレベータの前へと引きずるように連れて行ってくれる。
何か…僕って凄くカッコ悪い子供みたい。
沈んでいる僕の横で、坂井はエレベーターのパネル部分に、キーを近付けた。
流石に一般社員が使う事を許されていないだけに、外部からの不要な利用は出来ないみたいだ。
あ、キー持ってないんだから、僕も利用出来無いや。
音も立てずに開いた扉を見守っていると、中へと入るよう優しく促される。
「おい、坂井…」
エレベータの入り口まで付いて来た男は、不機嫌そうに眉を寄せながら坂井に声を掛けた。
ハラハラしながら二人を見守っていると、坂井は全く気にしていないみたいで、にこやかに微笑んでいる。
何だか…その笑顔が怖い気がするのは僕だけだろうか。
「本来ならこの子は、貴方如きが気安く話し掛けられるような、軽い存在じゃあ無いんですよ。」
穏やかな口調の中にも、相手にハッキリと分かるような刺々しさを含みながら、坂井はにこやかに語る。
何か…挑発してるみたい。
そんな事しちゃったら、ヤバイんじゃ…とか考えながら、反応を見る為に男の方へと視線を向けたけれど…
エレベータに乗り込んで来た坂井の身体によって、視界が塞がれてしまう。
「葵君、社長は今はお一人で社長室に居りますから」
「え?坂井は…?」
「私はこれから、パーティ会場の方を見回って来なければならないんです」
申し訳無さそうな表情を彼は浮かべるものだから、逆にこっちが申し訳なくなって来る。
坂井が居なければ、こうしてこのエレベータにも乗れなかったのだから…
これ以上、世話になる訳にも行かない。
一人でも平気だと言う事を頷いて伝えると、坂井はまたにこやかな微笑を浮かべてくれた。
何だか彼の微笑みは、優しい感じで安心する。
坂井は素直に喜べるし、僕みたいに作り笑顔をほいほい向けたりしない。
彼は本当に、自然な微笑を誰にでも向けられるのだ。
それは、僕がとても羨んでいる所。
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