Forget me not…08

「あの…坂井、頑張ってね」
 中に有る指紋照合装置に触れながら、僕には良く分からない
 タッチモニタを操作している坂井へと、そう声を掛ける。

「あ、有難うございます」
 照れたように少し赤面しながら、嬉しそうにお礼を言われるものだから、何だかくすぐったくなる。
 でも、頑張ってねって言っただけで、こんなに喜んで貰えるなんて…
 前に彰人が、坂井は僕に少し気が有るようだって言ったのも、何だか頷ける気がする。
 エレベータから坂井が降りてゆくと、直ぐに扉は閉まり始めて、
 閉まり掛けた扉の向こう側で坂井を面白くなさそうに眺めている男の顔が見えた。
 それから…坂井の今まで聞いた事無いような、人を小馬鹿にしたような口調で…
「あの子の事を知りたいなら、このキーが持てるぐらいに上に行く事だな、黒鐡」
 クロガネ?変わった名前だ…苗字なのかな?
 そう考えてから、完璧に扉が閉まって動き出したエレベータの中で、今度は坂井の事を考えた。
 彼の敬語じゃない口調なんて、初めて聞いたかも。
 そんなにあの人と、仲が悪いのだろうか。
 一人であれこれと考え事をしていると、エレベータ内に設置されて有る監視カメラに気付く。
 もうホント、感心するしか無い程の万全なセキュリティさに、溜め息まで零れそうだ。

 監視カメラの向こう側では、怪しい人物が入り込まないか、常に専用の監視員が目を光らせていると言う。
 ちなみに、僕が彰人の息子だって事を、その監視員は知っているらしい。
 だからエレベータを停められて、通報される事も無い。
 彰人に僕が来たって事を伝えられる可能性は有るけど。
 僕と彰人が親子だって事を知っているのは、一部の人間だけは知っているみたいで…
 それも、彰人の信頼を得られる程の人物だ。
 坂井は彰人と僕が恋人同士だって事は知っているけど、どう思っているんだろう。
 やっぱり僕じゃ、彰人とは釣り合って無い…とか思われちゃってるかな。
 息子としても、適して無いと思われてるのかな。
 僕と彰人が親子だと知っている人達は、彰宏という人の事は何て聞いているんだろう。
 彰宏って、どんな人なんだろう。
 一人になると、本当に暗い考えばかりになっちゃうのは、本当に僕の悪い癖だ。
 沈んでいる僕の耳に、フロアへの到着を告げる音が響いた。
 ドアが静かに開くと、監視カメラに向けて軽いお辞儀をして、急ぎ足でエレベータを降りる。
 坂井に何度か連れて来て貰ったお陰で、社長室への道は覚えている。
 でも、廊下に取り付けられている監視カメラに、僕は溜め息を吐きそうになる。
 人前だと姿勢を正して、人形のように黙り込んで、なるべく音を立てないように僕は歩くのだ。
 僕の事を知らない人の前だろうと、知っている人の前だろうと、気を張り詰めてしまう。
 彰人の息子だから、もっと毅然としていないと…とか、そんな気持ちが有るからだろう。
 物静かで、大人しくて、いかにも大人が好きそうな物分りが良い子供を演じてしまう。
 そんな僕を、彰人は快く思ってはいなかったりする。
 いつだって彼は、何処だろうと僕に自然体で居るようにと言ってくれるけど…。
 でもやっぱり、僕は彰人の息子だし……恋人でもあるから。
 例え世間には僕が息子だと公表していないとしても、
 彰人の傍に居る限りは彼と釣り合うぐらいにしっかりしないと。

 彰人に……迷惑を、掛けてしまうから。



 カードを持っていなければ通行出来無いセキュリティゲートの前で、思わず立ち止まってしまう。
 もしカードを持っていないまま通ると、ゲートが閉まると言う、ハイテクな物だ。
 しかも通行の履歴も記録出来るし、乗り越えなんてしたら直ぐに通報されるとか。
 どうやって通り抜けるべきか悩んでいると、ゲートの向こう側の
 曲がり角から人が現れ、こちらへ向けて歩いて来る。
 果たして、僕は見つかっても怒られない存在なのかなぁ…
 などとぼんやり考えて、つい逃げるタイミングを見失っていた。
 いや、でも此処まで来れたんだから、怒られる存在じゃないと思うけど。
 ゲートを余裕で通過したその人物は、軽く下へ向けていた視線を上げ、僕を視界に捕らえた。
 バッチリと目が合ってしまい、何だか逃げ出したくなる。
 まるで、泥棒をしていて見つかったような気分だ。
「葵?」
「…え?」
 自分の名前を呼ばれて、僕はつい驚いてしまう。

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