Forget me not…25
取り敢えず、洗って貰った服が乾くまでは此処に居るつもりだけれど、その後は…。
「昔はあんなに病弱だったのに…もう喘息は治ったのか?」
唐突な問いにハッとして、小さく頷いた。
せめてこの人と一緒に過ごす時だけは、明るく振舞わないと。
二人で過ごすのは、これが最後なんだから。
「あのな葵、あいつな…お前を産んだ事を誇りだと言っていたよ。あいつは、お前を愛していたんだよ」
「…はい。」
産んだ事を…誇りだと言っていた母に、また謝りたくなる。
また泣きたくなって、下唇を強く噛み締めた。
泣いてはいけない、堪えろ。
他人の前で泣いたら、彰人に迷惑が……。
そこまで考えて、ハッとする。
どうしてまだ、彰人に迷惑が掛かるなんて事を考えているんだろう?
どうして僕は…諦められないんだろう。
「…っ」
タオルで隠れた目から、涙が零れた。
声を殺して、唇を噛み締めて。
あぁ、何だか昨日から、泣いてばかりだ。
弱い僕は、きっと……誰からも必要とされないんだ。
母さんが生きていたとしても、こんな弱い僕を見たら失望するに決まってる。
僕は……不要物なんだから。
「葵…、」
名前を呼んだ彼は、それ以上は何も言わずに、僕を抱き寄せてくれた。
広くて逞しい大人の胸へ押し付けられて、僕は抵抗もせず、まるで子供みたいに泣きじゃくった。
「ん…、」
頭を撫でてくれる、優しい手の感触に目が覚めた。
畳の上で寝転がっている僕の頭を、彼はずっと撫でてくれて…何だかくすぐったい。
いつの間にか泣き疲れて、そのまま眠ってしまったみたいだ。
起きて直ぐに、そんな子供っぽい自分を恥じた。
彼は、僕が寝ている間もずっと頭を撫で続けてくれていたのだろうか。
「お、もう起きるかい?」
「すみません、急に…泣いたりなんかして」
「…葵はちっちゃい頃、全然泣かない子だったからな…その反動が今、来ているのかもなぁ」
もしそうなら、もっと恥ずかしい。
今の歳で、子供みたいに甘えたり泣いたりして許される筈が無いもの。
……カッコ悪いだけだ。
「あの、服は…」
ゆっくりと起き上がると、乾いた僕の服を渡される。
礼を言ってから急いで着替え始めると、男の視線が集中する。
―――――気まずい。
この視線は………信じたく無いけれど、学校で感じるような視線と同じものだ。
でも、この人は義理の父親なんだし、どうか僕の勘違いであって欲しい。
「葵…また一緒に、暮らさないか?」
急いで、出来るだけ相手に見えないように工夫しながらズボンを履き替えていた最中だった。
そんな言葉を掛けられて、動きが一瞬止まる。
僕は彼に、必要とされているのだろうか?
そう考えると何だか胸が熱くて、嬉しくて……
けれど、いそいそと服を着替え終わると、小さく首を横に振って見せた。
「ごめんなさい…」
それだけ言って、頭を下げて、家から出る為に立ち上がった。
玄関に続く廊下に出ると、唐突に手首を強く掴まれ、動けなくなる。
「頼む葵…一緒に俺と暮らしてくれ…」
弱々しい表情を浮かべられて懇願され、躊躇ってしまう。
この手を思い切り振り払って、走って目の前のドアを開けて家を飛び出せば、彼は追って来ないだろう。
けれど僕には、それが出来ずに居た。
彼が、とても淋しいのだと分かってしまったから。
この家に一人でずっと住んでいたのだろう。
一人で日々を過ごすと云う事は、とても淋しいだろう。
彰人が傍に居ない日々を沢山経験して来た僕には、それが痛い程分かる。
そして…もう彰人に会えない僕は、彼に同情してしまう。
それでも、僕は……。
「…ごめんなさい、」
申し訳無く思いながら、謝罪の言葉を漏らした。
母にも謝って、血は繋がっていないとは云え、
父である彼にも謝って……僕は本当に、どうしようも無い奴なのだ。
「どうしてなんだ…葵、……くそっ」
舌打ちを男が零したと同時に、僕の身体は廊下の床へと押し倒されていた。
衝撃に驚き、頭を少しぶつけた痛みに眉を寄せていると、彼の手が僕の服の釦を外しに掛かる。
「な…っ、ちょッ」
あまりにも唐突過ぎる事態に焦ってしまい、上手く言葉が出せない。
慌てて片手で男の手を掴むと、彼は悲痛な表情を浮かべた。
「もう俺の事は、パパと呼んでくれないのか?」
その言葉に、嫌な予感が僕の中で膨らんだ。
嘘だ、と否定したくても、僕の両手を一纏めにして、
片手で拘束して来る男の行動がそれを許さない。
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