the mating season…07

「ん…っ、」
 思ったよりも触れた手が冷たく、その感触と額に触れる他人の肌に、
 身体はどうしようも無く熱を上げて、小さくだけれど甘ったるい声が漏れてしまった。
 慌てて口元を抑えるけれど、目の前の男は驚きで目を見開いているし、
 その後ろの鳴瀬も驚いた表情を浮かべているから……聞かれてしまったようで。
 もう恥ずかしくて恥ずかしくて、この場から消え去りたい。

「葵さ…ん、」
 真っ赤になっている僕の耳に、今まで聴いた事の無い、低くて綺麗な声が響く。
 それから、体中を何かが、一瞬にして駆け抜けるような感覚を得て……
 急に身体の力が嘘みたいに抜け、咄嗟に伸びて来た鳴瀬の腕に支えられなければ、
 僕は道の上で、みっともなく倒れ込んでいたかも知れない。
「この馬鹿っ、その声…人前で使うなってあれ程云っただろーが」
 遠くの方で舌打ち混じりの声が聞こえたけれど、
 僕は何が何だか分からないままで、そのまま意識を手放してしまった。



「お前…ほんっと、どうにかしろよな。あんな街中で理性無くすなんて、馬鹿だろ」
「…悪かった。それで、葵さんの様子はどうだ?」
 遠くの方で聞こえて来る響きの良い声に、意識は次第にハッキリとして来る。
 ゆっくりと瞼を開けた僕は、見慣れない天井を目にして、少し混乱した。
 見れば、今僕が寝ているソファも見慣れなくて、此処は一体何処なのか、不安になる。
 制服の上着とベストは反対側のソファに置いてあって、
 上体はシャツとリボンタイだけの格好で…一体、何が有ったんだろう。
 僕は確か、街中で鳴瀬と宮下と云う二人に会って……片手で頭を抑えながら
 考えていると、無意識に視線は、声が聞こえる扉の方へと向いてしまう。
「様子見てくるから、温かい飲み物用意しとけ」
「葵さんは何が好みなんだ?」
「紅茶が好きらしいぜ、」

 ……何で知ってるんだろう。
 少し開いているドアの向こう側から聞こえる声を耳にして、いささか驚いた。
 確かに、紅茶は好きだけど…鳴瀬に好みを話したことなんて無いし、彼の前で紅茶を飲んだ事だって無いのに。

「ああ、起きたか…坊っちゃん、」
 扉を開けて室内に入って来た鳴瀬が、僕の顔を見るなり、少し安心したように言葉を発した。
 後ろ手に扉を閉め、姿勢良く歩く姿が、目を逸らせないぐらいに魅力的でカッコイイ。
「あ、あのっ、ここは?」
 思わず少し見惚れてしまい、そんな自分を節操なしだと心中で責めながら、半ば慌てた口調で尋ねる。
 頭の中に浮かんだ彰人の姿に向かって、他人に少し見惚れてしまった事を、つい無意識の内に謝罪してしまう。
「ん?……何処だと思う?」
 ソファの前で膝を付いて僕の顔を覗き込み、悪戯っぽく笑いながら訊き返されてしまい、返答に詰まる。
 何処って………何処だろう。
 不安げに室内を見回し始めた僕を、鳴瀬は暫く黙って見ていたけれど、やがてクスクスと笑い出した。

「安心しろって、別に変な所じゃない。ここは藤堂社長の会社内で……俺達の、まあ……控え室みたいな所だ、」
「と、父さんのっ?」
 これには流石に慌ててしまい、身を乗り出すように、ソファの上から起き上がろうとするものの……
 身体に力が全く入らずに視界が揺れ、勢い余って転げ落ちそうになってしまう。
「おっと、危ねぇ…」
 すかさず鳴瀬の両腕が僕の身体に回り、支えるように抱き寄せられた。
 本来なら、此処で感謝するべきなのだけれど……身体に絡まる
 力強い腕の感触に、身体は少しずつ発情し始めてしまう訳で。
「坊っちゃん……まだ身体に、力入らねぇんだろ?可哀想になぁ…」
「ふぁ…っぁ、」
 耳元に唇を寄せられ、吐息混じりで囁くように尋ねられ、
 欲情が強まっている所為で、甘ったるい声が漏れてしまう。
 感じてるの、確定……みたいな声だ。
 耳元で囁かれた所為で、僕の身体は反応しちゃうしで……。

「ヘェ…坊っちゃんは耳が感じるのか、」
「ぁっ、あ…ゃめ…ッ」
 ただでさえ発情期の所為で過敏なのに、感じる箇所に軽く息を吹き掛けられてしまう。
 逃げようにも、抱き締めている相手の腕力が思ったより全然強いし、身体に力が全く入らないから逃げられない。
 耳に息を吹き掛けられただけで身体を震わせて、感じちゃってるような自分が、ひどく最低に思えた。

「すっげぇ敏感じゃん……喰っちまいてぇ、」
「ゃ、だ…、や…んッ、あ…ぁッ」
 喰う、と云う言葉が理解出来ず、嫌がるように身を捩った僕の耳を、相手は唐突に甘咬みしてくる。
 彰人とは、違う咬み付き方で……それなのに感じちゃう僕は、最低だ。

6 / 8