鳥籠…04

「シガローネ・エクスクルーシブですか…いつの間に変えたんです?以前は、両切りのピースだったでしょうに、」
「肺が悪いんだから強い煙草は吸うなと、良子が怒るもんでな、」
 困ったように娘の名前を出した津川の顔は、桜羅会会長の顔ではなく、一瞬だけ親の顔をしていた。
 それを見逃さなかった樋口の頭の中に、凪の実父が自分に向け、必死で哀願する姿が浮かぶ。
 何度も同じ映像が浮かぶのは、罪悪感を感じているからなのか……樋口には、分からない。
 自分の考えを誤魔化すように、ジッポを懐にしまいながら、症状はそんなに悪いのかを津川に向けて尋ねた。
「癌だ。だが、そんなに大した事は無い、」
 さらりと云ってのける辺りが、津川らしい。
 実は末期癌で、医者からは余命半年と云われたのだが、敢えてそれは口にしなかった。
「癌って……オヤジ、何故もっと早く、診断に行かなかったんですか」
「ワシ、医者嫌いなんや、」
「ふざけてる場合じゃ有りませんよ」
 呆れ顔の樋口に対し、津川は軽く笑い、だが直ぐに真面目な表情を浮かべる。
「今度の幹部会で、ワシャ引退宣言し、おまえを跡目に指名するぞ」
「オヤジ…俺は引きませんぜ。跡目は頭、それで良いじゃないですか、」
 話が元に戻り、樋口がうんざりしたように首を横に振る。
 本来なら出世に喜ぶべきなのだろうが、道楽でヤクザになった樋口は、今の地位で十分満足だった。
 裕福と呼べる家庭で育ち、一流大学に入学しておきながら、樋口は学生時代の頃から既にヤクザと関わりを持っていた。
 だが、自分と同類の、趣味でヤクザになった者達とは違い、
 凶器や暴力を前にして震え上がるような腰抜けではなく、人も殺している。
 その上、樋口の恫喝や冷酷さは、趣味でヤクザになったなどとは到底思えない程、迫力が桁違いだった。

「……お前、猛の弟を囲っているらしいな、」
 120mmの長い煙草を指で挟み、灰を硝子製の灰皿の上へと落としながら、静かな口調で津川が唐突な言葉を放つ。
 津川の口から青年の話題が出るとは思いも寄らず。
 前屈みの状態でソファに座り、手を前に組んでいた樋口は一瞬意外そうな表情を浮かべた。
「それが……どうかしましたか、」
「止めておけ。猛の弟だ…お前をいつか裏切るぞ」
 重々しい口調で云われ、人を裏切れそうにない青年の姿を頭の中に浮かべた樋口は、僅かに苦笑を浮かべる。
「まあ、その時はその時ですよ、」
 軽く返す樋口を見て、相当猛の弟に熱を上げているのだと察する。
 下っ端の人間が、樋口が男に熱を上げ、囲っていると噂していたのは、
 やはり真実だったのかと、津川は溜め息を吐きたくなった。
「芳樹、桜羅の跡目を継ぐまで、不評を買うような真似だけはするな……
でないと、お前が跡目を継ぐ事に、反対する奴らも出て来る」
 どうあっても桜羅の三代目を継がせたいらしく、樋口は津川のそんな態度に心中で溜め息を漏らした。
 どうでも良いと言いたげな樋口の表情を見ても津川は諦めず、すぅっと目を細め、無表情になって樋口を見据えた。
「……あのガキの父親、殺ったのはお前だろう、」
 これまでとは違い、津川の声が更に低く、脅すような声に変わった。
 室内の空気は一気に張り詰めたものに変わるが、樋口は平然そうにしている。

 頭の中では、必死で縋り付いて来る男の、醜い表情が浮かんだ。
 今は亡き妻が、前の男と密かに関係を続け、生まれた子供が凪だったと云う。
 だからどうしても凪を愛せず、凪を置いて夜逃げしたのだと云っていた。

 その時、樋口の心中に悪魔のような考えが浮かんだ。
 父親を殺し、兄も殺せば……凪は一人だ。
 そうすれば、孤独な凪を自分が引き取り、ずっと手元に置いておく事が出来る、と。
 いつか凪を捨てるつもりだったと告げる男の言葉に、樋口は考えを固め、何の躊躇いも無く凪の親を殺した。

「あのガキに知られちゃ拙いだろう、芳樹。嫌われたくはないんだろう?」
 遠回しに、跡目を継がなければ、青年に真実を暴露すると脅している。
 だが樋口は全く戸惑う素振りも見せず、それ所か凪の父親を殺害した事を認めるように小さく笑った。
「生憎、既に嫌われてますから。これ以上恨まれても、変わり有りません。」
 暴露したければ好きにすれば良いと考える樋口とは裏腹に、
 津川は相手の弱みを見つけたかのように、不敵な笑みを浮かべた。
「そう云えばな、猛が昔、家族の事を話した事が何回か有ってな。
当然、あのガキの話もしていたが……気が沈むと、何をしでかすか分からないとかでな。
母親が病死した日に、後追い自殺をしようとした事が有るらしい」

 /