鳥籠…09

 けれど、此処まで優しくされたら、凪は抑え込んだ感情を、簡単に吐き出してしまいそうだった。
 その上、久々に頭を撫でてくれる優しい感触が、凪に引き金を引かせようとする。
「ひ、樋口…さ、」
 震えた声で名を呼ぶと、相手は穏やかに返事をした。
 じっとこちらを見下ろし、凪の話をちゃんと聞こうとしている。
 樋口のその姿に、凪は何もかも曝け出してしまいたい心境に、駆られた。
「樋口さん…僕、あの、僕は……」

「組長ッ!!」
 続く言葉がいきなり、怒号とも呼べる声に掻き消された。
 細い廊下を走り抜ける音が響き、やがて部屋の中へと二人の男が駆け込んで来る。
 驚く凪には構わず、男達は息を切らし、額にじっとりと汗を浮かばせていた。
「どうした、」
 只ならぬ男達の雰囲気に樋口は眉を顰め、凪の頭からゆっくりと手を離すと、低い声で尋ねる。
 邪魔をした事に対して一度謝罪し、男は息を整える間も無く口を開いた。
「ほ、本家の…本家の会長が、襲…襲撃されましたッ」
「…………相手、何処だ」
 途端に樋口の目が鋭くなり、凄みを利かせるように、低く冷たい声で尋ねる。
 男達は微かに身体を震わせ、男の一人は青褪めてしまう。
「そ、その…まだ、何処のモンかは…」
「オヤジは無事なのか、」
 相変わらず、凄みの利いた声で言葉を放つ樋口に、男達も凪も、恐怖に慄いていた。
 慄然としている凪にすぐさま気付いた樋口は、相手の背中を片手でゆっくりと、宥めるように撫でてやる。
 そうしながらも、サングラスの奥の瞳は、優しい手付きには似合わない、獰猛な光を帯びていた。
「そ、それが…襲撃されたとしか、」
「何故詳しく訊こうとしなかった?……てめぇら、気ィ緩んでんのか?ぁあ?」
「す…すんませんっ!!」
 樋口の身の竦むような声に、男達の顔は更に青褪める。
 直ぐ様、男達は頭を下げ、身体を震わせながら何度も謝罪を繰り返した。
 痛々しいとも呼べる二人の姿は樋口がどれ程恐ろしく、冷酷であるかを知らしめるには、十分過ぎるものだ。
 優しい樋口ばかり見ていた凪は自分の目を疑い、ただ、樋口の迫力に震えるしか出来ずにいた。

「……おい、何ボサッとしてやがる、さっさと表に車を回さねぇかッ!!」
 いつまでも頭を下げている二人を吠えるように一喝し、
 男達は震え上がり、一人が慌てたように部屋を飛び出してゆく。
 廊下を駆け抜けてゆく足音が響き、樋口は凪から離れると、スツールに掛けていた背広の上着を手に取る。
「凪君、少し出かけて来ますので…待っていて下さい、」
 部下に対する態度とは全く違い、にこやかな微笑みを浮かべながら、樋口は優しい声で囁いた。
 だが、サングラスの奥の瞳は多少、鋭利さが残っている。
 思わず震えてしまう凪の髪を梳くように優しく撫でるが、廊下を進む足音を耳にした樋口は、後ろを振り返った。
 廊下を走り抜けて来た男は息も切らさず、凪へ向けて軽く頭を下げてから、樋口へ近付く。

「二代目のタマ、殺られたそうです。これから本部で緊急会議を開くらしいんで、組長に伝えるよう、本家の頭から託りました。
相手はまだ何処のモンか分かっていませんが…本家の頭が云うには、寺島会の残党の仕業じゃないかと……」
 明瞭な発音で語る樋口組若頭、海藤の話を聞き、樋口は眉を顰めた。
 寺島会は、一年前に樋口組が壊滅させた組だ。
 残党狩りまでし、徹底的に壊滅させたのだから、生き残りが居る筈が無かった。
 それに、たかが残党如きに、殺られるようなオヤジじゃない。
 腑に落ちないが、何時までもこの場で燻っている訳にも行かなかった。

「海藤、俺が戻るまでに、道具と兵隊用意しておけ。それと……凪を頼む、」
 樋口のその言葉には、腹心である海藤への信頼が、ハッキリと込められていた。



 樋口が本部に向かったまま、もう五日も戻らない状態が続き、凪は心配そうに顔を上げた。
 テーブルを挟んで丁度向かい側の席に、樋口組の若頭、海藤が座っている。
 海藤は樋口の云い付けを忠実に守り、桜羅会会長の葬儀にも参加せず、骨上げにも顔を出さずに、常に凪の傍に居た。
「あ、あの…海藤さん、」
 静まり返った組長室に、凪のか細い声が響く。
 モバイルノートを操作していた海藤は、視線だけを上げて凪を見据える。
「本当は樋口さんのお傍に居るべきなんですよね?すみません、僕…」
 淋しいと云ってしまったから、樋口は自分の傍に海藤を置いてくれているのだろう。
 あんな言葉を云うべきでは無かったのだと思い、ずっと申し訳なさを感じている凪は、心の底から謝罪を口にした。

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