鳥籠…10

「凪様は気になさらなくて結構です。だから、そんな顔しないで下さい。」
「でも……あの、僕には構わずに、樋口さんの元へ向かってください」
「それは出来ません。貴方の傍に居る事が、組長のご命令ですから。」
 きっぱりと断られ、凪は目を伏せる。
 一体何が起こっているのか、ヤクザの世界をあまり知らない凪に取っては、全く分からない。
 だが、樋口が今、大変な想いをしているのだと云う事は何となく分かった。
 そんな大変な時に、樋口の腹心である海藤は、自分の所為で樋口の傍に居ない。
 海藤が樋口の傍に居れば、少しでも樋口は楽になれるのでは無いだろうか。
 凪はずっとそう考え、何も出来ず、それ所か愛する人の足を引っ張っている自分を恥じた。
「凪様、そんなに心配しないで下さい。組長は、私が居なくても大丈夫ですし……
それに、それ程大変と云う訳でも、有りませんよ」
「で、でも…なら、どうして樋口さんは戻って来れないんですか?」
 落ち着いた海藤とは裏腹に、凪の声は焦ったように高くなる。
 何も知らない事が、更に凪を不安にさせているのだろう。
「そうですね……本家の親分が殺されたんです。報復する為に、相手を捜し出す事も必要でしょうし…
何より、跡目の事もありますから。本部は色々と、ゴタゴタしてるんですよ、」
 丁寧な海藤の説明を耳にし、凪は更に表情を曇らせる。

 簡単に人が殺されたり、報復したりと……そんな危険な世界に、樋口は居るのだと思い知らされたからだ。
 もし、樋口が誰かに殺される事になったら―――――
 そう考えると背筋がゾクリとし、凪は慌てて自分の考えを消すように首を横に振る。
 自分は何も出来無いけれど、出来る事なら樋口を守りたい。
 樋口が死なずに済むのなら、自分は何でもするだろう、と凪は思う。
 それこそ、自分の命を無くしても、構わないとさえ考えた。

 それに……樋口を庇って死ねるのなら、少しぐらいは、彼の心に残れるかも知れない。
 弟に似ているから、ではなく。
 彼を庇って死んだ、一人の人間として。
 僕自身を、ずっと忘れずに、その心に………。

 そこまで考え、凪はハッとした。
 異常とも呼べる程の想いを、樋口に対して抱いてしまっている自分が、恐ろしく思えた。
 屈折した自分が無性に汚れているように思え、凪はそんな自分の想いを振り払うかのように、目をきつく瞑った。



 幹部会で開かれた選挙では、若頭の榎本康史に票が集まり、他との差は圧倒的だった。
 樋口は悔しがる態度も見せず、ただ平静としていた。
 元から、三代目は榎本が一番相応しいと思っていたからだ。
 それに、望んでは居なかったにせよ、津川が消えたお陰で、
 凪の父親を殺したと云う真実を凪自身に知られる事は無くなった。
 戻ったら、今まで我慢していた分、凪に何度も触れてやろうと考える。
 特に頭を撫でてやると、凪はとても気持ち良さそうな表情を浮かべていた。
 あの表情をまた、これからも見れるのかと思うと、樋口はガキのように胸を躍らせてしまう。

「会長のタマ、殺った奴なんだがな…見つけて既に始末した。相手は、やはり寺島会の残党だったようだ」
 唐突な榎本の言葉に、その場に居た幹部連中が、どよめき始めた。
 あまりにも行動が、速過ぎるのでは無いかと考えた樋口だけが、腑に落ちないと云ったように眉を顰めている。
「探し当てた奴は、水嶋猛だ。俺は、あいつを桜羅に戻そうと思っている、」
 ざわめきがより一層大きくなり、中では反対の言葉を漏らす者も出るが、榎本は頑として聞かない。
 猛を見つけ次第、直ぐに始末してしまおうと思っていた樋口は、心中で舌打ちを零した。
 奴が戻ってくれば、凪を手放さなければならなくなる。
 凪の父親を殺し、今度は猛も殺そうと考えていた樋口にとって、予想外の事だ。
 再度心中で苛立たしげに舌打ちを零すが、直ぐに樋口は別の謀計をめぐらす。

 猛が戻った後、弱小組織の組員でも買収して、奴を殺させればいい。
 後は、その買収した組員を口封じに殺れば、何も問題は無い。
 そうなれば、兄の仇を討ってくれたと考え、凪も少しは自分の事を好いてくれるかも知れない。
 懐から煙草を取り出して咥え、火を点けながらぼんやりとそんな事を考えるものの、
 樋口は自分の手元から一瞬でも凪を手放したくはなかった。
 どうするべきか考えながらも、樋口は懐疑の眼差しを榎本へと向け続ける。

「それと、オヤジには悪いが……遠山組の盃を受け、傘下に入ろうと思っている。」

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