鳥籠…16

「ひ、一人…一人に、なりたいんだ…淋しいなんて云って、勝手だけれど…色々と、一人で考えたい事とか、有るし…」
 か細い声で訴えるように語られ、樋口は軽く溜め息を漏らした。
 自分が出来る範囲で凪が望む事は全て叶えたいと思っている上、
 あまり要望を口にしない彼が珍しく頼み事をして来ているのも合わさり、樋口は仕方ないと云った様子で頷く。
「…分かりました。凪君がそう仰るので有れば、俺が戻るまで誰も近づけさせませんが…
何か要求が有りましたら、上に組員を待機させて置きますので、遠慮なくこき使ってやって下さい」
 こき使うなんて事は出来無いと、焦って云おうとするものの、樋口に再度唇を奪われ、凪は言葉を無くす。
 唇をきつく吸われ、何度か軽く啄ばまれて凪の息は弾むが、樋口は不意にキスを止めた。

「続きは、帰ってからじっくりと致しますので…いい子にして待っていて下さい、」
 凪の前髪を掻き上げて額へキスをしてから、樋口は惜しむように凪から離れる。
 頷きながらも、嫌な予感が抜けない凪は不安気に、去ってゆく樋口の背中を見つめ続けていた。



 薄暗い室内で猛は床に座り込み、通話相手の榎本が、何回目かの舌打ちを零すのを聞いていた。
 今、自分が居る遠山の自宅へ向けて、榎本は車を走らせている最中だと云う。
「くそっ、樋口め…桜羅を潰す気かッ、あいつが居なくなったら、ウチは弱体化しちまう」
「落ち着いて下さいよ、頭。…遠山さんが、何とかしてくれますって、」
 ソファの上の遠山を見遣り、笑いながら云う猛には、緊張した様子は見当たらない。
 声の調子からして、その顔は笑っているだろうと予想した榎本は、苛立たしげに舌打ちを数回零した。
「に、しても…樋口の野郎、キレ過ぎるぜ。いつから気付きやがったんだ…」
「頭…一体、何の話っすか?」
「俺の飼い犬が、樋口ん所の海藤に埋められたと、さっき連絡が入った。
俺が犬を雇って、津川を殺った事、バレたかも知れねぇ」
「それは大変っすね」
 焦っている榎本とは裏腹に、猛は飽く迄マイペースを崩さず、焦った様子もない。
 いつも通りの明るい口調で答える猛に、榎本は更に苛立った。猛には、危機感と云うものが欠けているのだ。
「猛、計画がバレたら、てめぇもタダじゃ済まねぇんだぞ。…分かってんのか?」
「分かってるっすよ。…俺、拷問されるの嫌いなんすよね、やだなぁ…」
 笑いながら軽い口調で言葉を吐き、猛は目を細めて銃の手入れを続けた。
 チェンバー側から差し込んだ洗浄棒を動かし、バレル内を慣れたように磨いてゆく。
「ふざけた事云ってる場合じゃねぇぞ、猛。」
「あぁ、そうだ…頭。俺、桜羅に戻るのは諦めます」
 さらりと云って退け、榎本の返答を待たずに、猛は通話を一方的に終わらせ、携帯の電源を切った。
 上体だけ何も纏っていない猛は、組み立てた銃を床に並べ、満足そうに微笑む。

「それじゃあ、遠山さん…俺、そろそろ行きますね」
 一人掛けのソファの上で力を無くし、ぐったりと俯いている遠山へと、愉しそうに声を掛ける。
 だが遠山は何も答えず――――その顔は銃弾に貫かれ、胸元は赤く染まり、床は血に塗れていた。

 榎本から電話が掛かって来る前、猛と身体を重ねている最中に遠山は、凪が欲しいと漏らした。
 強欲な遠山は、猛が想いを寄せる、見知らぬ弟までをも手中に収めようとしたのだ。
 その言葉を聞いた瞬間、猛の目は狂気の色に染まり、行為を終えて休んでいた遠山を、撃ち殺した。
 樋口に愛しい弟が捕われていると云う事だけでも、気が狂いそうだと云うのに…
 強欲で薄汚れたあの男が、猛の最も愛する存在を欲しい等と口にした為、猛は一時の殺意に身を委ねてしまったのだ。
 だが、武闘派揃いの遠山組の組長を殺害してしまったと云うのに、猛の顔には後悔の色も恐怖も伺えない。
 床に転がっている、遠山を撃ち殺したサイレンサー付きの銃を拾い上げ、幸せそうに宙を見据えていた。
「凪、お兄ちゃんが直ぐに、助けてやるからな…」

 うっとりと酔い痴れているように、そんな言葉を漏らした猛は……
 凪を連れて国外へ逃げ、二人で幸せに暮らす事しか、頭に無かった。



 猛に一方的に電話を切られた榎本は、何度も舌打ちを零し、睨むように前方を見据える。
 樋口に計画が知られる事に焦り、一刻も早く安全な遠山の自宅へ向かうべきだと考えているのに、
 先程から運悪く、赤信号にばかり当たってしまっている。
「…くそっ、」
 余裕無く、苛付いている榎本はまたしても赤信号で停車する破目になり、業が煮えたように膝を揺すった。

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