鳥籠…18

 揺れが収まると、危機感も抱かぬままにその場を走り去り、細く長い廊下を駆け抜けた。
 頑丈な扉の鍵はもう随分前から掛けられておらず、凪は簡単に上へ向かう事が出来る。
 上へ向かうと音は次第に大きくなり、階段を昇った先のドアの向こう側から、幾人かの怒声が凪の耳に入って来た。
 殴り込みやカチコミだと吠え、緊迫した雰囲気がドア越しに伝わる。
 扉を開ける事を躊躇われた凪は、暫くその場に立ち尽くしていた。
 やがて扉の向こう側が静まり返ると、凪は恐る恐るドアを開ける。
 扉を開けた先には既に誰も居らず、普段組員が待機しているその部屋は、静まり返っていた。
 一体何が有ったのか、理解出来ずに居る凪の耳に、駆けて来る足音が聞こえる。
 正面の扉が開くと、そこには樋口組舎弟頭補佐、澤木田の姿があった。

「凪様、怪我は無いっすか?」
 確認するように凪の身体に視線を走らせ、外傷が無い事を知ると、澤木田は安堵した表情を浮かべる。
 だが直ぐに真顔に戻り、凪の手を引いて部屋を出た。
「あ、あの…澤木田さん、一体何が…」
 澤木田に連れて行かれるままに、凪が躊躇いがちに尋ねると、
 澤木田は周囲を警戒するように左右を確認する。
 廊下は煙が立ち込め、澤木田はなるべく煙を吸わないようにと、凪に注意を促した。
「トラックが、いきなり突っ込んで来たんっす。尋常じゃねぇ…
今時、そんなイカレた事する奴なんざ、居んのかって感じっすよ。
相手誰か分からねぇんですが、既に組員が4人、撃たれちまいました。
その上、火炎瓶まで投げ付けて来たみてぇで……阿久津さんが、凪様だけでも安全な場所へ運べって…」

「それは、困るなぁ」
 背後で明るい声が聞こえた瞬間、澤木田は凪の手を離して
 懐へと手を差し入れ、振り向き様に匕首を抜こうとする。
 しかしその動きは止まり、澤木田の身体がその場に崩れ落ちた。
 倒れた澤木田は苦痛の表情を浮かべ、血の染みがじわじわと広がってゆく脇腹を抑えている。
 出血量が多過ぎるのを目の当たりにし、凪の身体は震えてしまった。
「さ、澤木田さん…っ、だ、大丈夫ですか!?」
 床に膝を付き、澤木田に向けて震えた声で呼び掛けると、
 澤木田は片手で刺された箇所を押さえ、もう片手で凪の肩を掴んだ。
「凪様、逃げて下せぇ…アンタに何か有ったら、俺は…親っさんに、埋められちまう…」
 小さく呻き声を漏らしながら、凪の肩を押し、澤木田は何とか凪を一人で逃げさせようとする。
 だが凪は、負傷している相手を見捨てて自分一人で逃げられる筈も無く、
 否定するようにかぶりを振る凪の腕を、男が掴んで引き起こした。

「久し振りだね、凪…」
 耳の傍で囁かれ、煙で良く見えないが、その声の主には覚えが有る。
 驚く凪を愛しげに見つめ、猛は澤木田を刺した、血に塗れた匕首を、床へと無造作に放り投げた。
「に、兄さん…?」
「そうだよ、凪。助けに来てあげたんだよ、」
 にこやかな微笑みを浮かべ、猛は片目を瞑って見せる。
 凪の身体を片腕で抱き締めながら、もう片手はベルトに差していた銃を抜き、床に転がっている澤木田へと銃口を向けた。
「痛そうで、見てらんないや。可哀想だから、止め、刺してあげようか…」
「兄さんッ!!」
 ぎょっとした凪が慌てて、銃を構えている猛の腕を掴む。
 その瞬間、傍で耳をつんざくような銃声が轟き、澤木田の苦痛の呻き声が上がり、凪は反射的に目を瞑って身を竦ませた。
「外しちゃったじゃないか…駄目だよ、凪。危ない、」
 マイペースを崩さない猛は、凪に向けて優しく、諭すように言葉を放った。
 澤木田の頭を打ち抜こうとした銃弾は、凪が猛の腕に掴みかかったお陰で大きく外れていた。
 だが、澤木田の左足へと、銃弾は命中している。

「くそ…ッ、猛、てめぇか…っ、こん外道が…ッ!」
 床に転がっていた澤木田が苦しげな言葉を漏らし、それを耳にした猛は
 何も云わずに、自分の腕にしがみついている凪を退かす。
 片足を撃たれて呻いている相手の顔へ再度銃口を向けるが、何かを思い立ったように
 口端を吊り上げ、照準を先程撃った左足へと定める。

「久し振りに、嬲り殺しちゃおうか?きっと、楽しいよ。」
 舌なめずりし、目を細めて怪しく笑うと、猛は凪の制止も聞かずに銃弾を放つ。
 一発、二発三発と、休む間も与えずに澤木田の左足だけに銃弾を撃ち込んだ。
「にいさッ、兄さん、やめてっ!やめてよッ」
 聞くに堪えない悲鳴を上げ、血に染まってゆく澤木田を見て涙を零し、凪が必死で猛を止める。

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