鳥籠…20

 匕首を懐にしまった男は、次の命令を待つように樋口を見上げた。
 だが、樋口のサングラスの奥の目が、獰猛な光を帯びている事に気付き、逃げるように男は樋口の足元から離れる。
 海藤も距離を置くように離れた瞬間、樋口は榎本の顔を蹴り上げ、
 海藤でさえもゾッとするような、凄絶な笑みを浮かべた。
「隠すんじゃねぇよ。……俺はなぁ、榎本…さっさとゴミを片付けて、戻らなきゃならねぇんだよ、」
 踏み折った榎本の足を靴の底で強く踏み付け、凄みを利かせた、低く鋭い声を出す。
 榎本の絶叫が工場内に響き渡り、樋口はそれでも尚、執拗に折れた足を踏み付けた。
 だが榎本は絶叫を上げ続けるものの、強情にも遠山の事は一切云おうとしない。
 痺れを切らした海藤が、苛付いたように眉を顰めるが、樋口は足を退けて屈み込み、榎本の髪を乱暴に掴み上げた。
「指、残さず落とされてぇか。えぇ?榎本…」
 顔を近付け、咥えた煙草の火が、榎本の右目へと寄せられる。
 その場に居る者が凍り付く程の、黒々しい雰囲気を持っている樋口は、目を細めて冷笑を浮かべた。
 瞬間、榎本の聞くに堪えない絶叫が上がり、海藤以外の部下二人は、思わず目を背ける。
 樋口が火の点いたままの煙草を、榎本の右目へと押し付けていた。
「なぁ、榎本…あんまり俺を、怒らすんじゃねぇよ。俺が短気だって事、知っているだろう?」
 狂ったように暴れもがき、絶叫し続けている榎本の眼球へと
 煙草の火を更に押し付けながら、樋口は青褪めている部下に顎をしゃくった。
 部下は震えながらも頷き、二人掛かりで暴れる榎本の身体を抑え付け、大型のプレス機の前へと連れてゆく。

「榎本、痛ぇぞ?ソレはよ……」
 喉の奥で笑い、新たに取り出した煙草を口に咥えると、今度は立ち上がった海藤がすかさず火を付ける。
 同時に、プレス機で左足を潰された榎本の甲高い悲鳴が響くが、樋口は平然とし、口元を微かに歪ませていた。
 一般人やチンピラなら逃げ出したくなる程の威圧感と迫力、
 残忍さを目にしながら、凪には決して見せられたものではないと、海藤は考えていた。
 凪に対する態度がこれ程までに違い過ぎると、凪の身にもしもの事が有った時、
 樋口がどれ程恐ろしくなるのか……想像しただけで海藤は冷や汗が伝うのを感じる。

「…絵図を描いたのは、てめぇと、猛と……遠山、だよな?」
「お、俺と…猛、だけ…だ…」
 搾り出すような弱々しい声で答える榎本を、海藤が不快そうに眺めた。
 さっさと口を割った方が、もう痛い目は見ないで済むと、部下の二人の目が告げている。
 だが榎本は樋口の残虐さを目の当たりにした事は無い為、
 これ以上痛めつけられる事は無いだろうと、甘い考えを抱いていた。

「次は腕…行くか、」
 榎本の考えを裏切るように樋口が冷たい言葉を吐き、部下達は榎本の右腕を、再度大型のプレス機へと挟む。
 それに対し、とうとう根を上げ、榎本は泣き叫ぶように声を上げた。
「遠山だ…遠山が、桜羅を吸収する為に、俺を…三代目にしようと…」
 今にも消え入りそうな程、弱々しい声で榎本は謀計を語り始めた。
 蔑むような眼差しで榎本を見下ろしながら、海藤は後に桜羅会の幹部連中へ
 突き付ける為に、ICレコーダーで謀計を全て録音していた。
 だが唐突に海藤の携帯が振動し、部下の一人にICレコーダーを預けた上で、海藤は懐から携帯を取り出す。
 電話の相手は、樋口の自宅で待機中の樋口組若頭補佐、阿久津だ。

「…何だ、どうした、」
 海藤の威厳の有る口調が響くが、通話の相手は一向に何も喋らず、気の所為か、苦しげに呻いているように思えた。
「阿久津、何か有ったのか?」
「…カシラ、すんません……凪様が、攫われちまいやした、」
 阿久津の言葉に、海藤の携帯を握る手に、力がこもる。
 一瞬頭の中が真っ白になり、視線だけを樋口へと向けるものの、直ぐに逸らす。

「相手は、何処のモンだ?」
「猛です…水嶋、猛。アイツ、イカレてやがる…組員、六人も負傷しちまいやして…何とか生きてますが………澤木田が、」
 阿久津の絶望的な声を耳にし、海藤は悔しげに眉を顰める。
 空中を鋭い眼差しで睨み、下唇を噛み締めた。
 苦しげに喋るのを聞く限り、阿久津も相当深手を負っているのだろう。

「分かった。…サツ来る前に、道具隠しておけ」
「その点なら、もう…大丈夫ですぜ、」
 気丈に笑って答える阿久津に、少し労わりの言葉を掛けた上で電話を切り、躊躇いながらも海藤は樋口の傍に近付いた。
「…組長、凪様が……猛のガキに、攫われたそうです」
 声を潜めながらそう伝えると、樋口はゆっくりと、本当にゆっくりと視線だけを海藤へ向けた。

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