鳥籠…25
「……凪を返して貰うぞ、」
獰猛さが伺える、唸るような低い声で、樋口が言葉を放った。
凪の出血量を見て危険な状態だと判断していた海藤は樋口の声を耳にして慄き、猛も、笑みを消したその顔が青褪める。
「ご執心だな……凪はアンタを、憎んで…」
「なぁ、クソガキ。……ハラワタ、引き摺り出されてぇのか、」
凄みの利いた身の竦むような声を耳にし、猛の身体が小刻みに震える。
樋口の言葉は脅しではなく、残忍なその目が、本気である事を告げていた。
人を嬲り殺す事を何よりも好む、残虐で冷酷な男。
何故、こんな男に凪が惚れたのかは分からないが……
狂気とも呼べる樋口の鋭い、灼熱のような殺気に、猛は観念したように口端を吊り上げた。
「凪、またいつか、迎えに行くよ…」
凪に聞こえているのか分からないと云うのに、手摺りの上に座っていた猛はそんな言葉を吐き、後方へと身体を倒した。
猛がバルコニーから飛び降りた瞬間、樋口は駆け出し、横たわっている凪をそっと抱き起こす。
「…組長、猛の野郎…逃げやがりました、」
飛び降りた猛の遺体を確認する為、手摺りに近付いて下を見下ろした海藤が、悔しげに舌打ちを零した。
85m下の地面には誰の遺体も転がっておらず――――恐らく猛は、下の階のバルコニーへと飛び移ったのだろう。
尋常では無い猛の行動に苛立ちを覚え、頭に血が昇った海藤は、猛を始末する為に足を進めようとする。
だが、それよりも先に、凪を抱き抱えた樋口が部屋を出て行くのを目にし、海藤は凪の治療が先決だと考え直す。
携帯を取り出し、樋口の息が掛かった病院へと予め連絡を入れながら、海藤は忌々しい猛の部屋から出て行った。
「ひ…、ち…さ、」
海藤が走らせている車の中、樋口に抱き支えられている凪が、意識を取り戻したように弱々しい言葉を紡いだ。
それまで形相凄まじかった樋口の表情が一変し、心痛した面持ちで凪を見下ろす。
「僕……ぐち、さ…に、伝え、た……事が、」
「凪君、喋らないで下さい、」
撃たれた箇所を止血するように強く抑えながら、樋口が緊迫した様子で言葉を放つ。
だが、凪はどうしても今、伝えたくて仕方ないと云ったように、唇を小さく動かした。
弱っている為か、声が中々出ない。
「…く、僕…どう、して…も、伝えた…い、事…」
「凪君……ナギ、大人しくしてくれ…頼む、」
搾り出すような声がやっと漏れたかと思うと、樋口が悲痛な顔で懇願する。
どうしても伝えたいと云う言葉が、まるで最期の言葉のように思えた樋口は、
どうしてもその言葉を今、聞きたくは無かった。
凪を絶対に失いたく無いと、樋口は強く思う。
他組織すらも恐れる、武闘派樋口組組長の、威厳有る面影は今は無かった。
「伝えたい事が有るなら、後でじっくりと、いくらでも聴いてやる。だから…今は頼むから、喋らないでくれ…」
「…ひ…ち、さ…」
肩を震わせながら懇願する樋口の姿が、次第に見えなくなってゆく。
どうして樋口が、今自分の傍に居てくれるのか……
凪には理解出来なかったが、樋口の温かい腕の中に居られる事に幸せを感じていた。
「ナギ、ナギ……オイ、死ぬんじゃねぇぞ。
くそっ、俺はお前が好きなんだよ、馬鹿みてぇに、お前に夢中なんだ……なぁ、頼むから、死なねぇでくれ……」
今にも息が絶えそうな凪を、何かに縋りつくように、樋口はきつく抱き締める。
樋口の言葉に凪は涙を零し、唇を微かに動かした。
今の、樋口の言葉は……夢だろうか。
それとも、幻聴なのだろうか。
薄れ始めた意識の中、ぼんやりと考えながら、自分も好きだと伝える為に、凪は唇を動かす。
だが声は出ず、次第に視界は、暗くなり始める。
強い眠気に襲われた凪は、そのまま眠るように、目を閉じた。
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