溺れる小鳥…12

「僕、僕…嬉しい。樋口さん、大好き…」
 きつくしがみつきながら、震えた声を出す凪を、樋口はそっと抱き返す。
 あやすように凪の背を撫でるものの、そろそろ一番聞きたい言葉を、聞かせて貰おうかと考えていた。
「凪君、それで……海藤が話していた事は、本当ですか?」
 囁くように、なるべく穏やかな口調で話し掛けた途端、凪の身体が強張る。
「あ、あの…海藤さんは冗談を云ってて、その…」
 目線を少し泳がせ、落ち着かないように何処となくそわそわとした態度の凪を見て、樋口は口元が緩みそうなのを堪えた。
 本当に、何時まで経っても凪は、隠し事が下手だ。
 明らかに嘘を吐いていると云う態度をしているのに、自分ではそれに全く気付いていない。
「凪君、云った筈ですよ。隠すのなら…どうなっても知らない、と。……次は、解いてやりませんよ、」
 シーツの上に有ったネクタイを再び片手に持ち、軽く脅すような言葉を吐くと、凪は慌ててかぶりを振った。
 それ所か、しがみついていた手を逃げるように離し、身体も離して、樋口から少し距離を置く。

「き…き、嫌わ…ない、で…」
 目を瞑り、今にも消え入りそうな弱々しい声で、必死に言葉を紡ぐ凪を見て、樋口はそっと手を伸ばす。
 他人にこれ程優しく触れたのは初めてだと、樋口はそう考えながら、
 安心させるようにゆっくりと優しく、凪の頭を撫でる。
 頭を撫でられ、そっと瞼を開けた凪の目に、苦笑を浮かべている樋口の顔が映った。

「なぁ、ナギ。何か勘違いしてるようだが……俺は、凪君が人を刺そうが殺そうが、嫌いになんざ、なれませんぜ。
……そもそも、嫌いになれってのが無理な話だ」
 不安げにこちらを見上げている凪を抱き寄せ、顎をそっと掬い上げ、言葉を続ける。
「云っただろう?俺は情けねぇぐらい、お前に夢中なんだと…」
「で、でも…それは、僕が、いい子だからじゃ…」
 納得行かないといった様子で悲痛な声を出す凪を見ても、気が短い筈の樋口は苛立った様子など全く無い。
「本当にそれだけでしたら、我儘なんざ、聞き入れませんよ…」
「…ぁ、」
 いつも通りの穏やかな声で囁き、凪の唇を軽く舐めると、凪は恥ずかしそうに視線を落とす。
 恥らう凪の姿を暫し眺めていた樋口だったが、急に凪の片手を、まるで壊れ物を扱うかのように慎重に掴んだ。
 凪の手首は、少し拘束が強過ぎたのか、うっすらと緊縛の痕が残っている。
「申し訳有りません…痕、残ってしまいましたね。痛みは有りますか?」
 そう囁いた樋口が緊縛の痕へと唇を寄せて来た為、凪は先程の行為を思い出してしまい、一気に体温が上がる。
 少し遅れながらも、慌てたようにかぶりを振る凪を目にし、樋口は口角を上げるだけの笑みを浮かべた。
 壁に掛かっている時計へ一瞬だけ視線を向け、凪の頭を撫でる。

「そろそろ、寝る時間ですね」
 脱がした凪の服を片手で拾いながらそう声を掛けると、凪は物言いたげな眼差しで、樋口を見上げる。
「凪君?どうされました?」
 何処と無く淋しげな表情を浮かべている凪を見て、少しばかり焦りながら
 樋口が問うが、凪は何も云わずに首を小さく振った。
 樋口の身体をそっと押し戻して自ら身体を離し、俯く。
 樋口と想いが通じ合ってから、もう二週間は経つと云うのに、
 まだ一度も樋口と繋がっていない事を、凪は淋しく思う。
 凪だけを達かせる事は何度か有ったものの、樋口は決してインサートせず、
 まるで繋がらなくても平気だと云う態度を樋口が見せるものだから……
 凪は自分だけが樋口を求めているように感じ、自分自身をはしたない人間だと思ってしまう。

「お、お休み、なさい…」
 服も着ず、裸体のままで毛布を頭から被り、小さな声を漏らす。
 樋口ばかりを求めてしまっている自分を恥ずかしく思い、凪は居た堪れなくなった。
 好きな人が戻って来てくれて、自分の傍に居てくれるだけでも幸せなのだと、そう思わなければ……
 欲張りすぎたら、バチが当たってしまう。
 いつからこんなに、自分は欲張りになったのだろうかと考えながら、凪は目を瞑った。
 ――――――が。

「ナギ、」
「ぁっ」
 急に毛布を剥ぎ取られ、驚いて目を開けた凪の瞳に、眉を顰めている樋口の顔が映る。
 思わず怯んだ凪の額へと、樋口は自分の額を押し付けた。
「全く、お前は……そう云う態度を取られるとな、俺は何しでかすか、分からねぇぜ」
 脅すような言葉だが、口調はいつもと変わらず、優しく穏やかなものだ。

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